坂道の向こうに刻む「自分のための完走」 ―― 季節を駆け抜ける勇気
筋肉の叫び、五月の風の呼吸
今朝も午前四時。まだ街が眠りの余白に包まれている頃、私はシューズの紐を締め、路上へと踏み出しました。最近、あえてコースに選んでいるのは坂道の多いルートです。平坦な道とは違い、一歩ごとに重力が足首や太腿にのしかかります。普段は眠っている筋肉が、悲鳴に近い声を上げる。けれど、そのハードさこそが今の自分を鍛え、新たな力を引き出してくれるのだと信じて、走り続けます。
今日は仙台キリシタン銅像まで足を伸ばし、28キロを完走しました。 肌を撫でる空気は冷たくも心地よく、まさにランナーにとって「最適」と呼べる至福の季節が巡ってきています。
「我慢」という名の勇気
来週の日曜日は、仙台国際ハーフマラソンが開催されます。 大会そのものにエントリーしているわけではありませんが、私はいつものように早朝の静かな街を走ろうと考えています。昨年、大会の熱気に当たるようにして43キロを走り抜いた記憶が蘇りますが、今年の自分は少し違う決断をしています。「今回は25キロ程度で、我慢することにする」
走り続けたいという情熱を抑え、あえて距離を短く設定する。それは妥協ではなく、次なる使命やセミナー、そして何より長く走り続けるための「自己規律」という名の勇気です。全力で駆け抜けることと同じくらい、自分の限界を見極め、適切にコントロールすることは、大人としての、そして信仰者としての「整え」であると感じています。
連休明けの「重さ」の中で
カレンダーの連休が明け、日常の歯車が再び回り始めました。 しかし、誰もが軽やかにスタートを切れているわけではありません。勉強が手につかない学生、仕事の進め方に戸惑う会社員、家族のケアに心身をすり減らしている方。連休の余韻が、かえって現実の重さを際立たせている……そんな時期かもしれません。
坂道を走る時のように、人生の足取りが重く感じる時、私たちはつい「完走できるだろうか」と先を急ぎ、不安に駆られます。けれど、聖書はこう励ましてくれます。
「疲れた者に力を与え、勢いのない者に強さを増し加えられる。」(イザヤ書 40章29節)
自分の力だけで急勾配を上り切る必要はありません。 神様は、私たちの筋肉が震え、息が切れているその瞬間をよくご存じです。大切なのは、スピードを競うことでも、誰かと同じ距離を走ることでもありません。今の自分に与えられた「25キロ」や「一段の坂」を、自分なりのペースで一歩ずつ進めていくこと。その継続の先にこそ、数字には表れない「魂の完走」が待っています。
不器用でも、一歩ずつ
うまくいかない日があっても良いのです。 坂道で足が止まりそうになっても、再び前を向き、一歩を踏み出す。その不器用な繰り返しの積み重ねを、主は「誠実さ」として受け取ってくださいます。
今日という坂道がどれほど急に見えても、どうか下を向かないでください。 顔を上げれば、五月の爽やかな風があなたを応援しています。
完璧でなくていい。ただ、今日という日を信じて、前に進んでいきましょう。 その歩みの先に、あなたにしか見えない新しい景色が必ず広がっています。
今日も、共に前進です。
0 件のコメント:
コメントを投稿