心の走る場所と、22本の恵み ── 「今日」という命を味わい尽くす
◆ 新しい道と、変わらない祈りの座
午前5時ごろ、まだ新しい朝の空気の中へ、今日のランニングをスタートさせました。
いつも同じ道をただ繰り返すのではなく、今日は少しコースを変更して走ることにしました。今まで足を踏み入れたことのない道を走り、新しい風景やコースを発見する喜びもまた、長く走り続けるための豊かな楽しみの一つです。
新しい道を開拓しながらも、今日も「仙台医療センター」を中心に走り、祈りを捧げました。明日からは本格的な夏場のランニングコースへと移行するため、この病院の前を通ることはしばらくなくなります。
しかし、走りながらふと一つの真理に思い至りました。 私たちが物理的にどの場所にいるかということも大切ですが、それ以上に重要なのは「自分の心が、今どこを走っているのか、誰を思っているのか、誰のために祈っているのか」ということです。
肉体が離れても、誰かを想い、癒しを願う祈りの道筋は途絶えることがありません。心の座標さえ見失わなければ、私たちはいつでも、祈りの中でその人のそばに立つことができるのです。疲労を確かに感じながらも、20キロの距離を最後まで走り抜くことができたことに、深い感謝が湧き上がりました。
◆ 「22本もある」のか、「22本しかない」のか
ランニングを終え、いつものルーティンワークをこなして歯磨きをしていた時のことです。鏡を見つめながら、ふと自分の歯の数を数えてみました。
- 上の歯が11本
- 下の歯が11本
- 合計、22本
「22本もあるのか。ありがたいことだな」 そう素直に感謝の念を抱き、妻にそのことを話しました。すると彼女は驚いたように、「えっ、22本『しか』ないの?」と言ったのです。一般的に、80歳になった時に20本の歯を残すことが一つの目標とされているそうです。彼女の言葉を聞いて、あと20年後に自分の歯が何本残っているだろうか、という思いが頭をよぎりました。しかし、すぐに気づかされました。
そんな未来のことを、今ここで思い煩う必要など全くないのだ、と。
◆ 明日を知らない私たちの、今日という一日
「20年先のこと? 明日のことさえ分からないのに……本当に人間とは愚かなものだ」
未来への不安や、「足りないもの」ばかりに目を向けてしまうのが、私たち人間の弱さです。しかし聖書は、「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。」(マタイによる福音書 6:34)と、静かに、しかし力強く語りかけています。
まだ見ぬ20年後を憂うのではなく、「今、22本の歯が確かにここにあって、美味しく食事ができること」に感謝すること。
過去の後悔や未来の不安に心を奪われることなく、今日、神様から与えられたこの命に感謝し、ただひたすらに精一杯生きること。それこそが、人間に与えられた最高の知恵なのです。
◆ ささやかな日常を、全力で愛する
今日は礼拝後、午後2時から岩沼教会での牧師就任式へと妻と二人で出席します。 その前に、岩沼の街で一緒にお寿司のランチを食べる約束をしています。
未来を案じるのをやめた時、目の前にあるお寿司の味、妻との会話、そして共に礼拝を守る喜びが、どれほど光り輝く恵みであるかに気づかされます。
人生とは、こうした小さな日常の営みを心から楽しみ、感謝して歩むことの積み重ねに他なりません。 与えられた「今日」という道を、心の道具を使って平らにしながら、今日も精一杯に生き抜きます。
今日も、共に前進です。
朝ラン3D
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