降り注ぐ雨と増水する川のそばで――日常を守り、使命を全うする祈り
身体を打つ雨と、変わらぬ道のり
今朝は、冷たい雨のしずくを全身に浴びながらのシャワーランとなりました。
先日走った道とほぼ同じルートを辿りつつ、わずかにコースを変えて踏みしめた26キロ。
雨音に包まれながら足を前に運び続けると、濡れたウェアの冷たさの奥底で、身体が静かな熱を帯びていくのを感じます。ふと視線を川へ向けると、水かさが随分と増していました。濁った水の勢いが増す水面を見つめながら、「どうか、この辺りで収まってくれればいいのだが」と心の中でつぶやきました。台風の知らせも耳に届いており、空模様の行方は誰にも分かりません。
コントロールできない世界の中で
こうした天候の変化を目の当たりにするたび、私たちの暮らしがいかに「人間の力ではどうにもならないもの」の上に成り立っているかを痛感させられます。どれほど計画を立て、日常を整えていても、自然の脅威や想定外の出来事は、私たちの生活に容赦なく影響を与えます。増水する川や近づく台風の気配は、私たちの心にある「不安」や「葛藤」の象徴のようです。自分の力ではコントロールできない大きな流れを前にしたとき、人間は誰しも己の小ささを覚えます。
傘を差し出すような、ささやかで確かな愛
しかし、外の世界がどれほど荒れ模様であっても、私たちの足元にある日常の歩みが止まることはありません。
- 娘との時間:
今朝は、学校の後、仙台でアルバイトがある娘を駅まで車で送りました。夜にはまた、彼女を迎えに行く予定です。
- 妻との時間:
午後からは妻のパートタイムがあります。今日は雨が降っているため、行きも帰りも私が車を出し、送迎をします。
雨の日に家族を車で送り迎えすること。それは、雨風をしのぐ小さな動く避難所を提供し、彼らの濡れる肩をかばう「傘」のようなものです。天気を晴れに変える力はなくても、大切な人のためにワイパーを動かし、目的地まで安全に送り届けることはできる。それこそが、嵐の中で私たちにできる、小さくとも確かな愛の実践なのだと思います。
揺るがない土台の上に立ち、今日を全うする
そして本日は、今年度最後となる学院大でのチャペル礼拝説教が控えています。
天候は揺れ動き、川の水は増していますが、私たちが立つべき魂の土台は決して揺るぎません。「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩の上に土台が据えられているからである。」――聖書がそう語る通り、目に見えない絶対的な存在に根を張る時、私たちは不確かな日常を確かな足取りで歩むことができます。
私にできることは、天候を憂うことではなく、今日与えられた役割に向き合うことです。家族を車で無事に送迎するという日常の温かな務めも、講壇に立ち、御言葉を取り次ぐという霊的な務めも、その重さに変わりはありません。
最後まで、自分に託されたその務めをしっかりと果たすことができますように。祈りとともに、雨の日の暗さの中にも確かな光を見つめ、歩みを進めていきます。
今日も、共に前進です。
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