梅雨空を突き抜ける陽射しと、魂を浄化する光の道
じめじめとした空気を切り裂く、快晴の朝
数日間続いた雨と曇りの日がようやく止み、あの重くじめじめとした空気が嘘のように消え去った今朝。空を見上げると、見事な快晴が広がっていました。
日中は随分と暑くなるという予報ですが、重苦しい湿気に包まれるよりは、からりと晴れた暑い日を好む人の方が多いことでしょう。今朝、実習に向かう娘を駅まで車で送りながら、二人で「今日は暑くなるけれど、やっぱり晴れて良いね」と語り合いました。
私たちは本能的に、陽の光を浴びて生きるように創られた存在なのです。時に曇り空のように沈み込んでしまった心の底まで、真っ直ぐに差し込み、温かく照らしてくれる光。やはり、光は良いものです。
光を避ける者と、闇の中に潜むもの
しかし、世界を見渡せば、誰もが皆この光を好むわけではないという現実にも突き当たります。闇を好む人々も確かに存在します。泥棒や強盗といった、光を避けて暗がりの中で悪いことを企てる「闇の子ら」です。陰謀、策略、盗み、そして人を陥れるような悪意は、いつの時代も必ず、光の当たらない闇の中でひっそりと行われます。
光は、あらゆるものを隠し立てなく白日の下に晒してしまうため、心にやましいものを抱える者にとって、これほど恐ろしいものはないのです。
「光の子」として生きるための浄化
聖書は私たちに、「光の子として歩みなさい」とまっすぐに教えています。
光の子として生きるとは、単に心地よい日差しの中でぬくぬくと過ごすことではありません。時にその光は、私たちの内側にある闇をも鋭く照らし出します。
真理の光は、魂の奥底にある腐った部分を強い熱で焼き付け、びっしりと繁殖した闇の菌を徹底的に消毒する力を持っています。その消毒の過程は、痛みを伴うこともあるでしょう。しかし、ごまかしのない強い光に自らを晒し、膿を出し切ることでしか、私たちは本当の意味での健やかさを取り戻すことはできないのです。
支え合う光の共同体として、次なる道へ
今日、娘は長く厳しい実習の「最終日」を迎えました。 しばらく実習はお休みになるとのことですが、息をつく暇もなく、次はいよいよ国家試験に向けて本格的に頑張る時がやってきます。実習という一つの重いトンネルを抜け、今朝の快晴のように晴れやかな顔で向かっていった娘の背中を、心から誇りに思います。
これからの歩みの中で、思い通りにいかない日や、再び分厚い雲に覆われる日もあるでしょう。しかし、そんな時こそ家族の出番です。
- 曇った日には、互いの心を照らし合う小さな光となること。
- 決してあきらめず、共に励まし合い、助け合い、支え合いながら歩むこと。
光の子として、互いの存在を明るく照らし出しながら、今日という真っ白な一日を丁寧に生きていきましょう。
今日も、共に前進です。
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