デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年6月19日金曜日

今日も生かされて感謝

 


鼓動の奥にあるもの——大年寺255段の階段と、御手への委ね

今朝も、澄んだ空気と静寂に包まれる大年寺山公園へと足を運び、土を踏みしめてきました。振り返れば、いつの間にか一週間のリズムが、私の心と身体の輪郭をはっきりと形作るルーティンワークとなっています。

  • 日・火・木・土:週4回のランニング日(100キロ以上を走る道のり)
  • 月・水・金:大年寺山公園での散歩と思索の時

完全に走らない日、歩かない日は一日もありません。とりわけ月・水・金の朝は、大年寺の255段の階段や愛宕神社の階段を一段一段上りながら、約1時間、深い思索と対話の時を味わいます。額ににじむ汗、早くなる呼吸、そして足の筋肉に伝わる確かな重力。この絶え間ない歩みと走りが、今の自分に最も合っており、私に活力を与えてくれる大切なルーティンとなっているのは間違いありません。

 


階段の途中で気づく、ひとつの錯覚

しかし、階段を上りきり、ふと息をついて見晴らしの良い景色を前にしたとき、私の内にひとつの静かな問いが生まれます。

「果たして、この鍛錬や習慣そのものが、私を生かしているのだろうか?」

私たちは時として、自分が築き上げたルーティンや、自らの意志の力、あるいは健康な身体そのものを「命の土台」だと錯覚してしまうことがあります。「これだけ走っているのだから」「これだけ規則正しく生きているのだから」と、自分の努力の結晶を頼みの綱にしてしまうのです。確かに、この日々のルーティンは私を元気にしてくれる大切な「要因」の一つです。しかし、決して私を生かす「源」ではありません。ルーティンはあくまで器であり、その器に命の水を注いでくださる方が別にいるのです。

 


命の源、ただその御手の中に

私たちの本当の活力、命の源は、主なる神様の御手の中にのみあります。

心臓が今日も休まずに鼓動を打つこと。肺が新鮮な空気を吸い込めること。そして、前へ進もうとする意志が与えられること。そのすべては、決して私の力で生み出したものではなく、命の源である主からの一方的な賜物です。だからこそ、どれほど脚力を鍛え、どれほど完璧なルーティンをこなしていたとしても、最も大切なのは「自分が主の御手にあることを常に意識しながら生きる」という一点に尽きるのです。

  • 自分の力や健康を過信しないこと
  • 絶えず主の御手にすべてを委ねること
  • 今日という一日を、ただ信仰によって歩むこと

自分の足で階段を上っているようでいて、実は、見えない大きくて温かい御手によって「生かされ、引き上げられている」のだという真理。それに気づいたとき、私たちの人生からは「自分の力でなんとかしなければ」という重いプレッシャーが消え去り、真の平安と深い呼吸が戻ってきます。

 


大年寺の255段の階段も、ランニングの100キロの道のりも、すべては「主の御手の中で生かされている喜び」を身体全体で味わうための、感謝の祈りのようなものです。

あなたの今日の一歩もまた、決してあなた一人の孤独な力で踏み出すものではありません。命の源である方が、その御手であなたをしっかりと包み、支えておられます。その大いなる力に委ね、頼りきってよいのです。

今日も、共に前進です。

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