デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年6月18日木曜日

大年寺山公園の散歩

 


画面を閉じて、石段を上る——「沈黙」という魂の深呼吸

喧騒から離れた、静かなる一日

昨日はふと思い立ち、「IT DETOX(デジタル断食)」を実施してみました。

スマートフォンやパソコンなど、すべての電子機器から距離を置き、ただ自然の中を歩き、その後は自分の部屋で静かな時を過ごす。世の中の絶え間ないニュースや、メディアが四六時中報じている無数の「声」から、あえて意識的に離れてみる一日です。

ランニングをお休みしたこの日、私は久々に大年寺山公園へと足を運びました。豊かな木々に囲まれた道を歩き、お寺や神社へと続く数多くの階段を、ゆっくりと上っていきました。画面の中の平坦な世界から抜け出し、自分の足で一段ずつ重力を感じながら石段を上るその時間は、見失いかけていた自分自身の呼吸を取り戻すような、とても清々しいものでした。

 


溢れる情報の波と、見失われる内なる声

現代の私たちは、常に何かの情報に接続されています。 世界中の出来事を瞬時に知ることができる便利さの一方で、私たちの心は絶えず他者の言葉や社会の不安に揺さぶられ、無意識のうちに深く疲労しています。大年寺山の静かな木漏れ日の中を歩きながら、私はひとつの確かな事実に気がつきました。それは、「外の世界の音が大きすぎると、自分の内側にある本当に大切な声が聞こえなくなってしまう」ということです。 何もしない空白の時間、ただ静かに歩く散歩の時間。そうした「余白」を日常の中に意図的に設けることが、今を生きる私たちにはどれほど必要なことでしょうか。

 


静かにささやく声を聞くために

旧約聖書の列王記の中に、預言者エリヤが神様と出会う美しい場面があります。 神様は、岩を砕くような激しい嵐の中にも、大地を揺るがす地震の中にも、燃え盛る火の中にもおられませんでした。すべての喧騒が過ぎ去った後、神様は「静かにささやく声(微かな細い声)」として、エリヤの心に触れられたのです。

私たちが真理と出会い、深い平安を受け取るのは、情報が溢れる騒がしい場所ではありません。自ら画面を閉じ、心の耳を澄ませたその「沈黙」の中にこそ、神様の静かな慰めの声は響き渡るのです。

 


新しいリズムを刻む

静かに散歩をし、階段を上る日を設けることができた昨日の喜びに、私は深く感謝しています。 この気づきを一時的なもので終わらせないために、私はこれからの日常に一つの新しいリズムを取り入れることにしました。

  • 毎週、月・水・金の三日間を「IT DETOX」の日にする

これは単に「インターネットを見ない」という制限ではありません。自分の魂を守り、静かな祈りと自己対話の時間を豊かに育むための、前向きで積極的な選択です。

もし今日、あなたが溢れる情報や誰かの声に少し疲れてしまっているなら、ほんの数十分でも画面を伏せ、窓の風を感じ、静かな時間を味わってみてください。情報から離れて作られたその小さな空白に、きっと温かな光が差し込んでくるはずです。



今日も、共に前進です。

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