眠れぬ最前線の夜と、ポケットの中の小さな聖書 ―― 1985年「白骨部隊」が教えてくれた愛の形
華やかな帰還のニュースと、記憶の中の1985年
数か月前に世界的スターであるBTSのメンバーたちが兵役の義務を無事に終え、再び輝かしいステージへと戻ってきたというニュースが世界中を駆け巡っていました。彼らの逞しくなった姿に安堵し、喜ぶファンの声を聞きながら、私の記憶は一気に、あのじっとりとした汗が吹き出す約40年前の夏へと引き戻されていました。
1985年8月。私が20歳の時です。徴兵制度によって入隊し、約二週間の検査期間を経て配属されたのは、38度線の軍事境界線(DMZ)で北朝鮮と直接向かい合う最前線の部隊でした。第3師団、そのシンボルマークから「白骨部隊(ペッコル部隊)」と恐れられる、朝鮮戦争でも激戦をくぐり抜けた精鋭部隊です。そこでの3年間は、私の人生において決して忘れることのできない、命と信仰の原点となりました。
マイナス20度の暗闇と、死が隣り合う日々
約300名で基礎訓練を受けた後、私を含むわずか14名だけが、DMZの内部で直接作戦を行う「特殊部隊」へと配属されました。危険手当(生命手当)が特別に加算されるその場所は、文字通り「死」が隣り合わせの環境でした。
実際に配属されて間もなく、夜間の作戦中に3名の隊員が地雷を踏んで命を落とすという痛ましい事故が起きました。時折、銃撃戦の銃声が空気を切り裂くこともあります。夏は35度を超える猛暑、冬はマイナス20度という凍てつく寒さ。日が沈むと同時にDMZの深い闇の中へ潜入し、敵の侵入を息を殺して監視し、夜明けと共に撤退する。極度の緊張状態の中で、私を支え続けてくれたのは、胸のポケットに忍ばせた「小さな新約聖書」でした。
最初はゆっくり読む時間も許されず、トイレの個室に隠れては、こっそりとページをめくり、御言葉を貪るように読みました。そして作戦の直前には、暗闇の中で必ず祈りを捧げました。「どうか今日、この隊員たちが無事に生きて帰れますように」と。
「もったいない時間」を「愛の形」に変えたもの
極限の緊張と、毎日同じ時間に寝起きし、訓練を繰り返す規則正しい生活。3年間を終える頃には、身体は見違えるほど頑健になっていました。
当時、兵士の給料は本当に僅かなものでした。それでも少しずつ貯めたお金で、休暇の時に母親に服を買って帰った日のことを今でも鮮明に覚えています。現在、認知症が少しずつ進行している母ですが、不思議なことにその時の服の思い出だけは決して忘れず、電話の際には今でも愛おしそうに語ってくれます。その言葉を聞くたび、私の胸の奥に温かいものが込み上げてきます。
よく、「人生で一番輝かしい20代の大切な時期を、軍隊で過ごすのはもったいない」という意見を耳にします。確かに、若さという貴重な時間を差し出すのですから、そう思うのも無理はありません。
しかし、マイナス20度の暗闇の中、凍えそうな手で銃を握り、寝ずの番をしていた時、私の心には一つの確かな思いが灯っていました。
「今、自分が最前線で目を覚ましているからこそ、愛する家族が温かい布団の中で、安心して眠ることができるのだ」と。義務だから仕方なくやるのではありません。「愛する者のため」という視点を持った時、その過酷な3年間は、決して無駄な時間ではなく、悔いのない誇り高き「愛の実践」へと変わったのです。
誰かの平穏な眠りを守る、すべての「歩哨」たちへ
今の私たちの生活は、戦場からは遠く離れた平和な場所にあるかもしれません。しかし、日常の中にもそれぞれの「最前線」があります。 家族のために朝早く起きてお弁当を作る時間、疲れた身体に鞭打って満員電車に揺られる日々、あるいは、認知症の家族を根気強く見守る夜中。それらすべては、あなたが「愛する誰かの安心と平穏を守るため」に立っている、尊い歩哨の姿に他なりません。
あなたが自分の時間や労力を差し出して、誰かのために目を覚ましていること。それは決して「もったいない無駄なこと」ではありません。その見えない犠牲によって、今日も誰かが安心して眠りにつくことができるのです。
胸のポケットに信仰と希望を忍ばせ、与えられた今日という任務を、愛をもって全うしていきましょう。
今日も、前進です。
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