夜明けの足音と街のギャングたち——「生きる」という泥臭くも尊い営み
静寂のなかの二つの足音
午前3時半。二階の階段からすぐに降りてきたノアと共に、今日も無事に夜明け前の散歩を終えることができました。まだ世界が深い眠りについているこの静かな時間帯。路上に響くのは、私とノアの二つの足音だけです。心地よい静寂に包まれて歩みを進める中で、ふと、その穏やかな空気を切り裂くような声が耳に入ってきました。
カラスの鳴き声です。
街のギャングがもたらす風景
今日は土曜日。そうです、一般ごみの収集日です。彼らはその曜日を正確に把握し、街のあちこちでごみを狙って待ち構えています。
ゴミ袋を漁り、中身を容赦なく路上に散乱させる彼らは、言わば「街のギャング」です。今日も必ず、彼らによってどこかの道にゴミが散らかされ、清掃に頭を悩ませる人々がいることでしょう。人間社会の秩序を乱す、厄介で騒がしい存在。それが彼らに対する私たちの偽らざる眼差しです。
「生きるため」の必死さと不器用さ
しかし、彼らのその荒々しい行為の根底にあるものを思うとき、私の心の中で一つの深い気づきが生まれます。「それも、生きるために……」
彼らは決して、単なる悪意を持って街を汚しているわけではありません。ただ、今日という一日を生き延びるために、必死に命の糧を探し求めているだけなのです。美しく整えられた人間の静寂を破り、泥臭く、時に周囲に迷惑をかけながらも、なりふり構わず生きようとする姿。そこには、綺麗事だけでは済まされない「生存」というものの生々しい真実があります。
聖書には「空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」(マタイ 6:26)という言葉があります。この「空の鳥」には、愛らしい小鳥だけでなく、ゴミを漁る真っ黒なカラスたちも含まれているのではないでしょうか。
散らかった世界を愛する
私たち人間の営みもまた、本質的には同じなのかもしれません。 誰にも一切の迷惑をかけず、完璧に美しく生きられる人などいません。時には自分の弱さや不器用さゆえに、周囲の状況を散らかしてしまったり、誰かに負担をかけてしまったりしながら、それでも私たちは必死に今日を生き抜こうとしています。
今日、街のどこかで散乱したゴミを見かけたなら、ただ眉をひそめるだけでなく、そこに「なりふり構わず生きようとする命の足跡」を感じ取ってみたいと思います。
- 完璧に生きられなくても、泥臭く命を燃やすこと
- 互いの「生きるための不器用さ」を、少しだけ寛容に受け止めること
- 与えられた今日という日を、懸命に生き抜くこと
静寂の足音と、騒がしいギャングたちの鳴き声が交差するこの不条理で愛おしい世界で、私たちもまた、自らの命を力強く歩ませていきましょう。
今日も、共に前進です。
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