2022年10月14日金曜日

命がある限り歩き続ける

 


わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。(ヘブライ6:11-12

 



今日はサンティアゴ祈りの旅並みの歩きであった。感謝。みやぎ霊園に行くいつものルートが地震と雨で通行止めになり、少し遠回りになったので時間がかかった。ベニーランドから仙台城、そして東北大学、宮城教育大学、青葉森林公園の入口を通ってみやぎ霊園へ。坂道はトレーニングにもなるので喜んで、同時に汗もいっぱいかいて歩き続ける。感謝。



秋を味わいながら、祈り、皆の事を覚えながらまた祈る。その内、みやぎ霊園に到着。清掃の後、しばらく過ごす。今度は天に召された皆さんとの思い出を味わう。感謝しか出ない。全てに感謝。

 


今度は茂庭へ。ひたすら歩き続ける。トンネルをくぐると茂庭台入口。間違って何回もこの坂道を上ったことか?それでも感謝。

夕日がきれいだ。この時間帯に歩くのは久々かも。いや、ほとんどないかも。それで街の様子が、人々の様子が少しわかった。病院を見て祈り、そして歩き続ける。今度はパンセでパンを買った。結構、喉も渇いたのでお店でお水をいっぱい飲んだ。感謝。最後の1時間だ。歩き続ける。

 


そして無事に17時半ごろ到着。今日はトータルで約6万歩、約50キロの祈りの旅であった。感謝。来年3月のサンティアゴ祈りの旅のためにも良い運動になったかも。

 


少し休んで仙台駅まで娘を迎いに行く。昨日から学校の修学旅行(?)で東京に行って今日帰って来る。雨だったと言ったが友だちといれば関係なく、すべてが楽しいはず。

 


特別なことがなくても生きる喜びは生まれてくる。よくよく考えればそうなるはず。よく考えないで感情に左右されるので感謝がなく、不平不満が多くなる。生きることだ。どんな理由であれ命があるのは神様が生きることを許して下さったからである。だから生きることである。どうせ生きるならば楽しく生きることである。それはある意味、自分で創造する事である。楽しい人生は自然に訪れないからである。

造り上げることだ。そのための努力も惜しまず払うことである。すべてが面倒くさいと思う時があるかもしれないが、しかし少し努力することによって雰囲気は変わって来る。常に出来ることを考えて生きることである。生きることは、出来ることである。そう信じて最後まで歩み続ける。

 

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