2022年11月10日木曜日

使命によって生きる

 


全て重荷を負って苦労している者は私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ11:28)

 


一昨日、今年度初めて渡来したと思っていたハクチョウ二羽の姿が昨日から見当たらない。昼間は行ってないのでわからないが、もしかして途中休憩のために立ち寄ったかもしれない。仲間たちと一緒に福島方面のどこかに行く途中、わしらはちょっと疲れたから一休みしてから行くわ!ほな、後にな!と言って広瀬橋のところで一休みして群れについて行ったかも・・・・・(こうした勝手な物語を作るのが趣味である。)

 


今日は仙田朝市。週1回は行くところで楽しむ場所だ。上野アメ横商店街見たいな活気はないがそれでも生きている人々の姿が感じられる場所である。明らかに増えているコロナに気をつけながら行って来よう!

 


特別なことはないけど、流れる時にありのまま全部任せるのではなく、時を作って生きることは重要である。何もしなくても時は流れる。何かをしても時は流れる。悲しんでも時は流れ、楽しんでも時は流れる。泣いても流れ、笑っても流れる。残るのは自分がどう生きたかの痕跡だけ。この痕跡を大事にして生きるか、それとも何が残っても構わん!ありのまま生きよう、と言う。このありのままという言葉は解釈が難しく、人によっても異なる答えが返って来る。悪いまま生きるか、苦しむまま生きるか、人生をあきらめた人の嘆きとも聞こえる言葉である。

 


やはりありのままより、少しでも良いように生きることが大事である。人間は希望なしに生きることは出来ない存在であるからだ。自分に対して生きる希望と意味、価値観を抱かせ、それを常に心に留めながら生きることである。また使命感も重要である。少なくとも家族のための自分の大切な使命があることも確認して生きることである、それはほかならぬ天地の造り主イエス・キリストによってもたらされた使命である。それぐらい重要な使命であることを心に留めながら今日の人生を精一杯に生きる。

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