2022年12月31日土曜日

2022年を快く感謝して送る

 


信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

 


2022年最後の大年寺階段をノアちゃんと一緒に上った。この1年間、ほぼ毎日のようにこの階段を上ったことに感謝。その分だけ、健康が守られたことになる。ノアちゃんの耳血腫も治まったようで感謝。



今年の教会としての大きな出来事は7月、10月、12月に姉妹たちが天に召されたこと。でも大きな恵みの中で葬儀が行われ、姉妹たちが希望の旅たちが出来たことである。感謝。個人的な大きな出来事とは5月に教区総会出席のために山形までの112キロ歩いて行ったこと、

6月には双葉町までの約95キロを祈りながら歩いて行ったこと。

7月には気仙沼から教会までの祈りの旅を目指したが、途中、涌谷のトンネルを通って歩く内に熱中症で調子が悪くなり、ギブアップしたこと、



8月には御殿場ルートで富士山登山を目指したが雨と霧で途中ギブアップしたこと、ランニングを始めた827日に12キロを走ったこと、それが今も続き20キロを走られるようになったこと、



2022年も毎月欠かさずに教会墓地掃除のために祈りながら歩いて行ったこと、毎日のように料理して二人を喜ばせたこと・・・・感謝。妻もこの1年間仕事を始め、頑張っている事に感謝。娘も頑張って学校に行き、勉強に励み、礼拝を大事にして休むことなく集ったこと、これらのすべてに感謝して今日の最後の日を送るのである。嫌な事は早く忘れることが大切だが、ありがたいこと、感謝すべきことは繰り返し思い出して神様に感謝することが大事である。すると訪れる明日を、希望をもって快く迎えることが出来るのである。本当に2022年のすべての歩みに感謝。

2022年12月30日金曜日

2022年後二日

 

怒りやすい人はいさかいを引き起こし、激しやすい人は多く罪を犯す。驕る者は低くされ、心の低い人は誉れを受けるようになる。」(箴言29:22,23)

「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」(エフェソス書4:26,27)

 


残り後二日、今年はクリスマス礼拝、洗礼式、そして葬儀で締めくくる2022年であった。すべては教会の業である。教会が担い、教会で行い、教会から見送ることは教会に相応しい姿である。

 


我々の世界は最後になっても変わらずに心痛む事件や事故、暗い話ばかりである。希望を見出すことが出来ない現実。しかしその中で身近なところから聞こえてくるちょっとした話題に微笑むことが許されて感謝である。世界は荒れているけれども、家庭と教会は大きな出来事や変化なしに変わらず与えられた道を歩み続けていることに感謝である。(葬儀も大きな出来事ではない。教会が担うべき当たり前の業である。)変わらない生活で苦痛を感じる人もいるが、突然の出来事に遭遇したときの大変さを知ると変わらない平凡な日々の生活がどれだけありがたく、感謝であることかが分かるようになる。だから今を大事にし、感謝してお互いに支え合いながら生きることである。あなたがいて良かったと言える家族関係を長く維持できるようにお互いに心遣い、努力し、理解し合って生きることである。

 


今日は初めて23キロを走った。22時間で100キロを歩いたことはあったけど23キロを走ったことはない。教会から八木山、太白山を一回りして、太白小学校の前を通って帰って来ると23キロになる。長距離のランニングにだんだん慣れて行く。人間の体は特別な状況以外には積み重なるトレーニングによって成長していくものである。しかし内面的なもの、心や性格はトレーニングによってはなかなか成長しない。もちろん努力すれば少しはましにはなるが大きな変化は起こらない。だからといって仕方ないと諦めると周りの人々が困るようになる。憎しみ、妬み、怒り、無関心、不親切、欲などは厄介なものでなかなか私たちの心から消えないものである。それでも努力し続けることが重要である。なぜなら家族を愛し、周りの人々を大事にしたいのであれば努力する事は当然であるから。

 


2023年はつまらないことやどうでも良い事で真剣にならずぶつかったりしない。大声を出さない。怒らないように・・・・多く場合、家族の間での喧嘩はつまらないことやどうでもよいことで起こるからだ。もう少し心の余裕をもって生きるように。自分の主張よりは相手の言葉を聞くことを優先して生きるように。何か注意や指摘されたら素直にありがとう!と言えるように。切れる人生ではなく、結べる人生を、つなぎ合わせる人生を生きるように。長くない人生をいつも怒ったり、妬んだり、欲張ったりして生きる人ほど憐れな人はいないかも。笑顔で生きるように。少し心を広くして相手を受け入れるように。

そういう2023年となりますようにお祈りいたします。明日のランニングは休み。妻は仕事!僕は料理!

2022年12月28日水曜日

葬儀礼拝説教の中から

 


「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたの為に場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来てあなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私達には分かりません。どうして、その道を知る事ができるでしょうか。」イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。あなたがたが私を知っているなら、私の父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」(ヨハネによる福音書1417節)

 


Y姉は去る1224日土曜日に天に召されました。この地上で許された101年と8か月の人生を終えて神様の御許へ帰られました。私がY妹に初めて出会ったのは2018124日の日でした。この教会に赴任した最初の年の冬に大年寺階段を上って姉妹が過ごしておられる施設を訪ねて行きました。ちょうどその日は日差しが温かく、お昼の後、ロビーのソファーで休んでおられました。初めての対面だったので自己紹介をすると歩いて来られたのですか?と言われました。多くの言葉は語り合ってはいませんでしたが、とても穏やかな方だという印象を受けました。それが姉妹との最初であり、最後の対面となりました。しかしほぼ毎日施設の前を歩いたり、走ったりして通っていたので姉妹のことを覚えて祈りの日々を送っていました。・・・・・・・(中略)

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今朝、明け方頃、教会墓地があるみやぎ霊園に行って参りました。少なくとも月一回は歩いて必ず行っていますが、今日は特別な思いをもって、さらに今日の準備もあるために走って行って参りました。墓地に着くと碑石に刻まれている37名の教会の兄弟姉妹方のお名前を見ながらY姉妹がご主人のT兄を含めて皆さんから心温かく迎えられることを想像しながら祈りをささげました。何よりもT兄弟が一番喜ぶことでしょう。・・・・・・(中略)

 

私たちはもう姉妹のお姿を見る事は出来ませんが、しかし姉妹が歩んで来られたこの世での足跡はずっと私達の心の中に残る事でしょう。そして私たちも神様の恵みに頼って天の御国へと導かれていくのです。私たちは、人間の知恵でははかりがたい「恵み」を感謝して受け止め、そのように取り計らってくださる神様に栄光を帰したいと思います。この神様のはかりがたい恵みに感謝し、信頼しつつ、Y姉妹の魂を主の御手に委ねたいと思います。

2022年12月1日木曜日

心は温めて

 


12月がスタートした。

残り1枚と考えるか、31日も残っていると考えるか。自分次第である。

すべての状況と結果をどう受け止め、生きるかが幸福な人生のカギとなる。しかし全ての状況と結果をポジティブに受け止めることはそう簡単ではない。それは受け止められる心を持っているか、どうかの問題である。その受け止められる心は経験を通して得られるものである。つまり、小さな経験が積み重なって得られる心である。いわば生活習慣と日頃の考え方や生き方であると言えるかもしれない。人の中では物事をいつもマイナスの理由をつけて否定的に受け止め、考える人がいる。もちろん論理的で、冷静に、現実を直視しながら生きることは重要である。しかし人生には論理的で、冷静に、現実を直視しても解決できないことは山ほどあるからだ。だから様々な状況の中で正しく判断する知恵と力を持つことが大切である。しかしそういう知恵と力が欠けていることに問題である。だからといって学校で得られるものでもない。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ1:5)

 


つまり、本当の知恵と言うのは神様から与えられるものである。それは人間の浅い知恵を遥かに超えて驚く力を携えてやって来る。だから謙虚な姿勢でいつも神様に真の知恵を求めることが重要である。それが人生をより豊かにし、明るくさせるのである。

 


寒くなった。でもノアちゃんと自分にはちょうど良いかも。いつも夜中の散歩は汗をかくのでこのほうが助かる。いつもの時間帯なのでハクチョウたちは眠っている。川の水は冷たいのによう寝れるなと考えながら川沿いを歩いているが・・・・・

 


121日だったので太白山までランニングをした。

最後の月も精一杯に生きる。

来年は来年になって考える。

生きるのは今である。

今を生きる。

夕食は野菜スープを作った。体も心も温まる。

もう寝る時間が・・・・

こうして夕食を作っておいて自分は先に休むのが我が家の流れになっている。だからノアちゃんも休んでいる。自分に合わせているので・・・・自然にそうなっている・・・これも良し。

 


明日はもっと寒くなるという・・・でも心はいつも温かく保ちながら生きることである。心まで寒くなると最悪な状況になるので・・・・・・決して寒気を心まで送りこまない・・・・感謝して生きよう!

そして寝よ!!!

シャワーラン

  あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ 13 : 37 )   今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。 22 キロ完走。 雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。 これが一気に寒く感じるようになる。 それを常に意識...