怒りやすい人はいさかいを引き起こし、激しやすい人は多く罪を犯す。驕る者は低くされ、心の低い人は誉れを受けるようになる。」(箴言29:22,23)
「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」(エフェソス書4:26,27)
残り後二日、今年はクリスマス礼拝、洗礼式、そして葬儀で締めくくる2022年であった。すべては教会の業である。教会が担い、教会で行い、教会から見送ることは教会に相応しい姿である。
我々の世界は最後になっても変わらずに心痛む事件や事故、暗い話ばかりである。希望を見出すことが出来ない現実。しかしその中で身近なところから聞こえてくるちょっとした話題に微笑むことが許されて感謝である。世界は荒れているけれども、家庭と教会は大きな出来事や変化なしに変わらず与えられた道を歩み続けていることに感謝である。(葬儀も大きな出来事ではない。教会が担うべき当たり前の業である。)変わらない生活で苦痛を感じる人もいるが、突然の出来事に遭遇したときの大変さを知ると変わらない平凡な日々の生活がどれだけありがたく、感謝であることかが分かるようになる。だから今を大事にし、感謝してお互いに支え合いながら生きることである。あなたがいて良かったと言える家族関係を長く維持できるようにお互いに心遣い、努力し、理解し合って生きることである。
今日は初めて23キロを走った。22時間で100キロを歩いたことはあったけど23キロを走ったことはない。教会から八木山、太白山を一回りして、太白小学校の前を通って帰って来ると23キロになる。長距離のランニングにだんだん慣れて行く。人間の体は特別な状況以外には積み重なるトレーニングによって成長していくものである。しかし内面的なもの、心や性格はトレーニングによってはなかなか成長しない。もちろん努力すれば少しはましにはなるが大きな変化は起こらない。だからといって仕方ないと諦めると周りの人々が困るようになる。憎しみ、妬み、怒り、無関心、不親切、欲などは厄介なものでなかなか私たちの心から消えないものである。それでも努力し続けることが重要である。なぜなら家族を愛し、周りの人々を大事にしたいのであれば努力する事は当然であるから。
2023年はつまらないことやどうでも良い事で真剣にならずぶつかったりしない。大声を出さない。怒らないように・・・・多く場合、家族の間での喧嘩はつまらないことやどうでもよいことで起こるからだ。もう少し心の余裕をもって生きるように。自分の主張よりは相手の言葉を聞くことを優先して生きるように。何か注意や指摘されたら素直にありがとう!と言えるように。切れる人生ではなく、結べる人生を、つなぎ合わせる人生を生きるように。長くない人生をいつも怒ったり、妬んだり、欲張ったりして生きる人ほど憐れな人はいないかも。笑顔で生きるように。少し心を広くして相手を受け入れるように。
そういう2023年となりますようにお祈りいたします。明日のランニングは休み。妻は仕事!僕は料理!
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