十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやった事の報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。(ルカによる福音書23:39-47)
雨上がりの風景はきれいに見える。汚れが雨によって流され、拭き取られる。
人の心がその日の天気に左右されるのを見るとやはり人間は自然の一部であると感じるようになる。自然を支配する者ではなく、自然と共存する自然の一部であることを忘れてはならない。しかしこれまでどれだけ自然を破壊し、それによる報いを受けているのか?共に苦しむようになった。自然の一部であることを忘れたせいでそうなったのである。
受難節である。イエス様の苦しみ、受けられた苦痛、不安と恐れ・・・・何もかも全部お一人で背負ってあの十字架の道を歩かれたのである。そのことを覚えて過ごす時である。イエス・キリストの十字架の出来事。
与えられた今日の人生を主と共に歩む。主と共に歩むとは主の御心を行いながら歩むことである。神様を愛し、人々を自分のように愛し合いながら生きることである。また主にある兄弟姉妹たちのために、この世のためにも執り成しの祈りをささげながら歩むことである。
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