2023年3月28日火曜日

神様の傑作品


 主は、御名のために彼らを救い/力強い御業を示された。(詩編106:8)

自分の名前にかけて誓う、と言う場合があります。名前はその人の存在そのものを示すものです。その人の全体を現す表現です。だから下手に名前にかけて誓ってはならないのです。神様の御名は神様の存在を言い表す言葉です。だから名前を汚すことは神様を汚すことになるのです。そのためにユダヤ人は神様の名前を発音できないように書き記しました。その代わりに主、全能者など名前に代わるものを口にしたのであります。

人の名前もその人を言い表すものです。その人の人格、人柄、すべてを表すのが名前です。そういう期待と思いをもって親は子供の名前をつけるのです。その名前通りになるように願うのです。でも名前の通りにならない場合が多くあります。なぜなら自分の名前に込められている大きな価値を評価せず、軽く考えるからです。名前通りに生きることを考えず、それを忘れて生きるからです。もう少し自分を大事にし、自分の名前に込められている意味をもう一度考え、その価値を認め、評価し、大切にしながら生きることです。

神様は私たちを価値ある者として見ていてくださいます。なぜなら神様が創造なさった大切な存在であるからです。聖書は神様が創造なさった私たちを指して傑作品であると教えています。私たちは善い業のために造られた存在です。神様の栄光のために生きるのが私たちの生きる目的であるのです。その時、真の意味ある人生を生きることが出来るのです。本当の幸せを感じることが出来るのです。

今日も主の栄光のために、人々のために精一杯に生きることです。

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