これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。
わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」(創世記15:1)
After these
things the word of the LORD came unto Abram in a vision, saying, Fear not,
Abram: I am thy shield, and thy exceeding great reward.(GENESIS 15:1)
聖書の中で、命令形で語られた言葉、恐れるな!は365回出てくるという。人間が恐れを感じはめたのは神様に背き、罪を犯してからである。つまり、神様から離れた時から恐れを感じ始めたのである。罪の中で生まれた人間はこの恐れを一生感じ続ける。無くなることはない。解決方法はただ一つ、悔い改めて主に立ち帰ることである。真に安全な場所、主の下へと行くことである。主の御手がわたしたちを覆い、すべての悪から、恐れから守り、平安を与えてくださるのである。主と共に歩む人生こそ一番安全で平和に過ごせる道である。
主と共に歩む人生とは、毎日、み言葉と祈りの生活を送り、礼拝に集い、御心に従って神様を愛し、人々を自分のように愛しながら生きることである。平和な人生を願うならば主と共に歩むことである。イエス・キリストなしに真の平和は訪れないからである。これは真理である。イエス・キリストこそ我が主、我が神なり・・・・
主の日の朝である。
今日もゆっくり朝を迎える。
土・日はランニングも休みであるからだ。
朝の散歩でハクチョウの様子を見に行った。
このハクチョウに名前をつけようとしたところ、昨日、電話で教会員との話し合いでその名前をつけることにした。とりあえずNにしよう。長引く入院生活で力は切れて、希望は消えて最悪な状況である、という。入院生活が長引くと誰もがもつ思いである。決して楽しいと言う人はいない。快適であるとも言わない。一番良いのは我が家である。でもそこに心も体もリラックスできる、平和なところならば、という前提がある。家族・・・すべてを受け入れてくれる、すべてを聞いてくれる、すべてを受けとめてくれる場所が我が家である。家族。
電話の後、元気になったようで感謝。
今日も主の御手に委ねて生きる。
洗礼準備会、礼拝前の祈祷会、礼拝、婦人会例会・・・・・今日も生きる。
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