2023年6月13日火曜日

決して見捨てない

 

人口100人の上洞の村

見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28:15

And, behold, I am with thee, and will keep thee in all places whither thou goest, and will bring thee again into this land; for I will not leave thee, until I have done that which I have spoken to thee of.(GENESISN28:15)

 


不思議にこの時期になると前の教会の一人の姉妹が思い出される。それで調べてみると亡くなってわたしが葬儀の司式を務めたご主人のその兄弟の召天日が明日であることが分かった。もう7年となる。小さな100人村でキリスト者はお二人だけだったが兄弟は天に召され、姉妹一人になっている。兄弟が病気で教会に来られることが出来なかったときからノアちゃんと一緒に歩いて訪問し、聖書を読み、祈って励まし、共に過ごした日々が懐かしい。

真夏にはノアちゃんの受難日であった。往復約50キロを歩いたからである。途中、川があってノアちゃんを泳がせ、再び歩いて教会に帰ってきたことも多くあった。昨日はその姉妹のために長々と手紙を書いて今朝投函。感謝。

 

勘弁して!疲れた!

今朝はシャワーランで22キロ完走。雨の中を走るのもだんだん慣れていく。先日からひより台大橋あたりに住んでいるおじいしゃんと無言の挨拶を交わすことになった。今朝もあってお互いに挨拶を交わす。先日、大雨の中を走っている自分の姿を見て、こんなときによく走ってるね、との表情を読んで以来、無言の挨拶を交わすことになったのである。大体440分頃の時間かな・・・・こうしてまた知り合いになる。

 

川で泳ぐ

ごみは捨てても人は見捨ててはいけない。でもなぜ人を見捨てるのか?見捨てられたことがある人が人を見捨てる場合が多いと言う。でも人に見捨てられても神様に見捨てられるよりはましである。なぜなら神様に見捨てられることは終わりであるからだ。希望が断絶されたことである。幸いに聖書の神様は私達を見捨てない方である。むしろかき集め、保護なさる方である。滅ぼす為ではなく、救うために来られた神様であるからだ。ここに真の希望がある。そしてその希望によって生きることが出来る。

 

梅雨は梅雨らしく過ごそう(?)すべてを受け入れて生きよう。そして自分の中で受け入れたそのすべてをプラスに作りかえよう。そして前進!!!

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