2023年6月2日金曜日

人間失格者から神様の子供に

 


神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」(創世記1:26

And God said, Let us make man in our image, after our likeness: and let them have dominion over the fish of the sea, and over the fowl of the air, and over the cattle, and over all the earth, and over every creeping thing that creepeth upon the earth.(GENESIS 1:26)

 


今日は雨の予報だったので昨夜22時ごろノアちゃんの散歩に出かけた。気持ちよい風が吹いていた。犬散歩の人もいた。それから帰宅して仕事。日付が変わる少し前に二度寝。それから4時起床。生きる。

 


今日のランニングは?後で考える。これからは梅雨の時期になるので早めにシャワーランになれるように雨の日でも走ることにした。走り続ける。少しだけ無理はするほうが良い。

これまでの自分の経験からすると・・・・だから一般論に惑わされず自分の経験から学んだこと、それで身に着いたことを実行すれば良い。自分流の道を開拓して歩み続けるべし。

 

なぜ神様は人間に、いわば自然の世界を支配するようにさせたのか。その大事な管理の責任者にさせたのか。神様の代わりに人間にその仕事をさせたのは意味のあることだったのか。

重大な責任であり、それはある意味、とても光栄なことである。しかし人間はそれが出来なかった。なぜなら責任者、管理人がもつべき一番大事なことを忘れたからである。それはその責任を任せた方の御心を正しく知り、行うことである。それが出来なかったために、さらに自ら神になろうとしたので人間は堕落し、エデンの園から、その光栄な管理人の地位から退けられたのである。人間失格とはこういうことである。

 

人に対してではなく、神様の御前での人間失格である。しかし憐れみ深い神様は人間失格者にもう一度チャンスを与えてくださった。それが驚くことに前の同じ管理人ではなく、今度はなんとご自分の子供として迎え入れようとするのである。しかしそのための犠牲は大きなものであった。独り子イエス・キリストの死であったからだ。しかしその犠牲を払ってでも神様は私たちをご自分の子供として迎え入れようとしたのである。そしてそれがイエス・キリストの十字架の死と復活によって実現したのである。その恵みと驚きの出来事を知る人が真に人間失格者から神様の子供になれるのである。そのことを心に留めながら、これからは神様の子供らしく、考え、行い、生きるべし。自分は神様の子供である。生きよう。神様の子供らしく生きよう。

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