主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記2:7)
And the LORD
God formed man of the dust of the ground, and breathed into his nostrils the
breath of life; and man became a living soul.(GENESIS 2:7)
今日のランニングは休むことにしたが、結局、身体が動き出して5時30分頃スタート。
普段より1時間半も遅い時間帯のランニングだったので出会う人々も違い、車の量も多かった。体は重く感じたが走り続ける。大年寺階段を始め、上り坂が多い少しきついコースだがしかしトレランのトレニンーグには最適なコースである。感謝して走り続ける。結局、今日は22キロ完走。
人が生きる者になったのは私たちの中に命の息が吹き入れられているからである。問題はこの息の正体である。この息は全ての生き物が生きるために欠かせない呼吸の息なのか、それとも違う次元の息なのかである。英語の聖書はそれをソールと表現している。つまり、生物学的な息ではなく、魂と言うことだ。これは人間だけに吹き入れられた命の息、つまり、魂である。その意味で人間は霊的な存在である。しかし人は霊的な存在であることを忘れて生きている。ただ動物的な生き方、つまり、肉のために生きている存在になったのである。
それで人間は人生に満足できず、空いている心の穴を埋めようと趣味、お酒、麻薬、スポーツなどに走っている。しかしそれらのものでは埋めることが出来ず次々と新しいものに手を出し、探し求めるのである。
永遠を求める魂を満足させるためにはキリスト以外には答えがない。それは自力で得られるものではない。聖霊の助けと導きが必要である。そのためには日頃からの聖書の黙想と祈りの生活が欠かせない。人はパンだけで生きる者ではない、神様の口から出る一つ一つの言葉によって生きる者である。これこそ私たちの魂が満足して人生が豊かになる秘訣である。
今日も前進!命がある限り前進である。そうせ生きるならば精一杯に生きるべし。必ず最後の時が訪れるからだ。悔いのない今日の人生を生きるべし。自分の歩むべき道を歩み続ける。
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