2023年12月19日火曜日

恵まれた人

 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。(マタイによる福音書513節)

 


サンティアゴ祈りの旅から帰って来て5日目を迎えた。まだ夜昼が逆になり、なんとか正常に戻そうと頑張っているところである。でも以前からの生活とあんまり変わらないのでそれほど時間はかからない。

現在、教会は工事中。毎日のように工事の人々が出入りして作業を行っている。いつも神様はサインを送り、また導いて適切な時に適切な措置が取られるように助けてくださる。ある日、倉庫の床の点検口を開けてみたら水が大量に溜まっていた。大変な状況であることに気づき、至急知り合いの業者に連絡して見てもらった結果、早めの措置が必要である事。長老会に話し、サンティアゴ祈りの旅の前に段取りをつけておいて工事は始まることになったのである。でもけっこう大掛かりになって工事が進められている。

でも今の段階で不具合が見つかり工事が進められていることに感謝である。会堂が出来て以来おそらく誰一人その点検口を開けてみた人はいなかっただろう。それが神様の不思議な導きである。

 


これまで仙台長町教会に赴任してその神様の導きをたくさん経験している。小笠原先生のことも、どの牧師が土曜日の午後に(牧師にとって礼拝の準備で一番忙しい時である)約束したわけもでないのにその施設をそれも初めての場所をただナビに頼って会いに行くだろうか。しかしそこで2時間以上も先生と話し合い、翌日、先生は天に召されたのである。だから恵み豊かな葬儀が出来たと思う。また政隆兄のことも同じである。今度は土曜日の午後ではなく、日曜日の礼拝の前の時間帯に初めての病院をナビに頼って訪ねて行ったのである。一番忙しい看護師たちの申し送りの時間帯である。にもかかわらず親切に案内して政隆兄を休憩室まで連れてきてくれたのである。そこで話し合うことが出来たのもすべては神様の導きによってのみ可能であったことだろう。こういうことが数え切れない程、たくさん経験させられ、恵みの日々を送ることが出来たのである。


ある意味、それは心貧しくなったからこそできたことかもしれない。人々は心を豊かにするために努力している。自分の心をあらゆるもので満たそうとして頑張っている。愛で満たし、お金で満たし、名誉で満たし、権力で満たし・・・・・けれども心はそれらでは満たされないことがわかり、他のもので満たそうとして探し回るのである。結局、それが見つからず挫折して生きるのである。なぜなら人間を創造した主なる神様以外にはその人間の心を満たすことが出来る方はいないからである。心が貧しくならなければ神様を探し求めることができないのである。心が貧しい人はいつも神様に頼って、神様に祈り、神様の約束の言葉を黙想し、神様を思いながら生きるのである。その結果、様々な状況や環境の中で最善の道を備えてくださり、不思議な出来事を経験させて下さるのである。それをひと言で言うならば「恵まれた人」と言う。何もかも自力で行おうとせず、主の御手に委ねながらしかし、精一杯に頑張って御心に適う事を願いながら歩み続けることが重要である。つまり、優先順位がまず神様の栄光のために、人々のためになることを願いながら生きることである。そういう人を主は捉えて下さり、すべてのことが良き結果になるように導いてくださるのである。そのことを思いながら今日もまず神の国と神の義を求めながら歩み続ける人生を生きるのである。

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