2024年2月27日火曜日

感謝のセラピー

 

疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。

(マタイによる福音書1128節)

 


今世界の多くの人は疲れています。

戦争に疲れ、戦いに疲れ、復旧作業に疲れ、政治に疲れ、仕事に疲れ、勉強に疲れ、運動に疲れ、通勤、通学に疲れ、子育てに疲れ、教育に疲れ、人間関係に疲れ、介護に疲れています。つまり、今は生きることが疲れることになりました。誰のせいでもありません。この世界の、私たちが暮らしているこの社会の仕組みがそうなっているからです。そういうことが分かったうえで主イエスは言われました。疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。何よりも私たちが一番疲れを感じるのは人間関係です。体は疲れても心が平和で自由で喜びがあれば、多くの場合、疲れを感じないわけです。また身体の疲れもすぐに癒されます。しかし人間関係で疲れるとなかなか癒されません。一日中思い煩うときもあるのです。長引きます。それだけ我々人間は人生の多くを人間関係の中で生かされている存在であるのです。それが良い関係であればよいのですが、反対だと苦しみます。

 


ここで現代人が今経験している疲れから解放される治療方法があります。この治療方法をthank-you therapyと呼びます。クリスチャンになって一番変わったことは?と聞きますと多くの場合、日頃から感謝することが増えたと言われます。同時に皮肉にも長く教会生活を行うと次第に感謝することが減っていきます。もちろんこれは信仰生活を間違って行うケースに見られる現象です。キリスト者はいつ、どこでも感謝する人々です。そして私たちこそ、人生の苦難を勝利に、死を復活に変えて生きる奇跡の人々であるのです。Jay Dennisという説教者は感謝による治癒の力を次のように伝えています。あなたにたくさんの税金が請求されたら感謝してください。それはあなたには安定した職場による収入があるとの意味だからです。あなたの体重が増えて服が入らなくなったら感謝してください。それは、あなたは食べることに困らず生きて来た証拠であるからです。洗濯すべき服が家のあちこちに散らばっているならば感謝してください。それはあなたには少なくとも着替える余分の服があるとの証拠だからです。

 


買物に行った時、入口から遠く離れた場所にある駐車スペースを見つかったら感謝してください。それはあなたに少しでも歩ける運動の機会が与えられたからです。あなたに不平を言える大統領や指導者がいるならば感謝してください。それはあなたは言論の自由が保障された国に住んでいるとの証拠だからです。あなたは礼拝の中で周りから大分音程が外れ、聞きづらい讃美歌が聞こえたら感謝して下さい。それはあなたの聴覚はまだ正常だとの証拠だからです。あなたは鳴り響く目覚ましい時計の音がやかましく聞こえたら感謝してください。あなたにはベッドから起き上がって生きるべき新しい一日が待っている証拠だからです。一日が終わる頃、疲れを感じたならば感謝してください。それはあなたが今日の一日を頑張って生きた証拠だからです。日頃から感謝する人生を生きると、日頃から奇跡を経験して生きることになるのです。しかし問題は多くの人の感謝する条件があまりにも幼稚であることです。期待以上に物事が運ばれたとき、成功した場合、あるいは何か良い事や思わぬ幸せが訪れた時に人々は感謝するのです。しかしこの感謝のセラピーはそれとは全く違う次元の感謝です。まったく気づいていなかったことに対する、しかし日頃から毎日経験している出来事からの感謝を取り上げているのです。感謝する人生を生きるとさらなる感謝することが生まれてくるのです。これが感謝の不思議さです。今日も感謝して生きることです。

 


いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。    

(テサロニケの信徒への手紙一 51618節)

2024年2月12日月曜日

不条理の世界で生きる

 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。神に従う人よ、主によって喜び躍れ。全て心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。(詩編32編)



年度末が近づくと街で多く見られる現象がある。車道舗装工事である。予算の使い切るためだと言う。不条理である。

 


戦争は続き、犠牲者も増えている。毎日のように空爆や戦いで犠牲になった人数が記される。しかし名前は公表されない。数字で扱われる人々である。不条理だ。

 


数十人、数百人の犠牲者が出ても仕方なく受け止めている国がある。反対に5名の自国軍が犠牲にあったことで国中が大騒ぎをし、報復攻撃を行う国がある。不条理だ。

 


いつまでも金持ちのまま生きる人々がいる。同時に貧乏のまま生きられる人々もいる。

不条理だ。

 


人に迷惑をかけず、良心に従って正しく生きようとする人々がいる。しかし不条理な世界では多くの場合、負け組に分類される。いつも人に迷惑をかけながら悪に走っている人々がいる。にもかかわらず不思議にもこの世で成功する人々がいる。不条理だ。

 

この世では正義が必ずしも報われる保障はない。しかし不義の方が盛んになることは多い。不条理だ。

 

1月末に葬儀、また今週も葬儀だ。今年度は一番多いかも。でも不思議なことではない。歳を取るというのは死が近づくことで、ごく自然なことである。最後が大事である。

でもいつか必ず訪れる人生の最期の時をしっかりと準備する人はそれほど多くない。だから最期に悔いる人が多いのである。

 

でも今日は神様が与えてくださった新しい一日である。そして新しい命である。精一杯に生きることである。前進!!!

2024年2月8日木曜日

今日は今日の太陽が昇る

 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。(マルコによる福音書92-3節)

 


先日、雪の時に広瀬川沿いを歩いた。するとこれまで白く見えていた白鳥たちが少し灰色に見えたのである。その原因は周りに広がっている真っ白の雪色に対比されたからである。

普段は気づいていないことがある日突然の出来事や環境や状況の変化によって善し悪しに目立つときがある。

 


真っ白い色のドレスにどんなに小さくても黒い一点がついたらすぐ目立つようになる。

その一点を隠すためには二つの方法がある。その黒い一点を切り取るか、あるいは全部黒くすることである。白色で塗り替える方法もあるが、完全に隠すことはできない。すべてを黒くするには手間がかかる。だからといって切り取るのももったいない。こういう場合には第三の選択がある。他のドレスに着替えることである。しかし多くの人は第三の選択をするのに時間がかかる。なぜなら最初のドレスに執着するからである。

 


人生の生き方でも同じ事が適用される。生き方は一つだけではない。だが自分にふさわしい生き方を見つけるのがそう簡単でないことである。だからといっていろいろな生き方を試してみるのも勇気と時間が必要である。こういう場合には誰にでも適用できる100%の人生マニュアルを参考にすることである。それが聖書である。365回も神様が命じている、恐れないこと、人を恐れない、新しい挑戦を恐れない、最悪な状況を恐れない、失敗しても諦めないこと、仮に100回失敗して倒れても101回目の挑戦のために立ち上がること。

思い悩まないこと、悩んで解決できる事は一つもないからである。自分を過小評価しないこと、自負心は人生を生きるために大切な鍵である。出来ることだけを考えて行動する。

また昨日の失敗を引きずって新しい今日を迎えないことである。今日は今日の太陽が昇る。

 


今日も前進!!!新しい命が与えられたのであるから新しい人生を生きるべきである。

 


あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神/地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく/その英知は究めがたい。疲れた者に力を与え/勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ書40章)

どちらにフォーカスを合わせて生きるか?

  さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠さ...