さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。(コロサイの信徒への手紙3章1~5節)
上記の二枚の写真をよく見て下さい。カメラのレンズをどちらにフォーカスを合わせるかによって鮮明に撮られるか、ぼやけになるかが決まるのです。桜の花に合わせた場合はハクチョウがぼやけになるし、反対にハクチョウにフォーカスを合わせると桜の花がぼやけになるのです。同じく私たちが日頃からキリストにフォーカスを合わせて歩むか、それともこの世の事にフォーカスを合わせて歩むかによって人生の生き方、考え方、話し方、人との接し方、聞き方が変わって来るのです。日頃の関心を、いつもこの世的な事に合わせて生きる人は残念ながら死ぬまで本当の満足が得られないのです。
しかしいつもキリストの言葉、十字架の出来事を心に留めながら生きる人は本当に満足して平和に生きることが出来るのです。この二つの生き方を同時に生きることは出来ません。どちらかの一つを選んで生きることです。周りの人々はいつもこの世的な事に関心を寄せて、それを追及して生きるので満足することが出来ず悔いながら去って行くのです。そういう姿を見ていながら同じ道を歩んでいるのがこの世の人々です。そういう愚かな人にならず私たちは賢い人になることです。
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