2025年1月27日月曜日

苦難を超えた希望



"Hope Beyond Suffering - Moltmann's Theology of Joy"

『苦難を超えた希望 - モルトマンの喜びの神学』

 

モルトマンの神学的洞察は、彼自身の戦争捕虜としての苦難の経験から生まれました。その体験を通して見出された十字架の苦難と復活の希望は、彼の「希望の神学」の礎となりました。彼の思想は、現代の苦難に満ちた世界におけるキリスト教的喜びの本質を探求しています。

 

神の喜びについて語る時、モルトマンは創造の喜び、救い主の誕生、神の受肉、そして復活の栄光という聖書全体を貫く喜びの主題を指摘します。しかし同時に、キリスト教の中心的なシンボルが十字架―すなわち苦難―であるという逆説にも注目します。この見かけの矛盾の中に、深い真理が隠されているのです。

 

彼は霊的な喜びと感覚的な喜びを区別しながらも、両者が人間存在に不可欠であることを認めています。特に、感覚的な喜びが霊的な領域と結びつく時、それは環境に左右されない真の喜びとなり得ると説きます。

 

モルトマンの独特な洞察は、喜びと悲しみを対立的に捉えるのではなく、キリストの愛という文脈の中で理解することです。この愛の中では、幸福も傷つきも同じように存在し得るのです。さらに彼は、存在(Dasein)が非存在(Nichtsein)に先立つように、喜びは苦痛よりも根源的であると主張します。

 

十字架の苦難の中にさえ喜びを見出せる理由は、復活の光が死の闇を照らすからです。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りない」というパウロの言葉は、この真理を力強く表現しています。

 

信仰とは、復活のキリストの現存の中に生きることであり、神の国への希望を持って「マラナ・タ(主よ、来たりたまえ)」と祈りつつ歩むことです。この希望があるからこそ、現在の苦難や罪の現実の中でも、赦しと回復を信じて前進することができるのです。

 

希望のない時代にこそ、この希望は一層輝きを増します。それは単なる楽観主義ではなく、十字架と復活という歴史的現実に根ざした確かな希望なのです。この希望を持って、私たちは最後まで信仰の道を歩み続けることができるのです。

 

  

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