2025年5月7日水曜日

自己価値を知って生きる

 


あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。秘められたところでわたしは造られ/深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから。(詩編13913-16節)

 


一般的に、家電製品の寿命は種類や使用頻度、環境によって異なりますが、大型家電で7年~10年、小型家電では35年程度が目安とされています。毎日使う冷蔵庫でさえ、長くても15年ほどです。

 

それに比べ、人間の臓器がいかに驚異的であるかと思わされます。心臓、胃袋、肝臓、手足、声帯など、私たちの体は毎日休みなく働き続け、80年から100年、あるいはそれ以上も機能し続けるのです。この事実に、人間を創造された神の偉大さを感じずにはいられません。私たちは神によって創造された傑作であり、だからこそ大切にすべき存在なのです。

 

実際に、エフェソの信徒への手紙210節には「わたしたちは神に造られたものであり」と記されています。ここでの「造られたもの」とは、原文では「傑作品」を意味します。ありふれたものではなく、天地創造の神が心を尽くして真剣に造り上げた傑作であるということです。

 

この事実を認識して生きるか否かで、人生は大きく変わってきます。なぜなら、自身の真の価値を知って生きる人と、そうでない人とでは、生き方そのものに大きな違いが生まれるからです。多くの場合、自ら命を絶つ人々は、自身の真の価値に気づいていません。自分を無価値な存在だと考えてしまうのです。

 

しかし、私たちがこの世に生を受けたのには理由があります。神は一人ひとりに使命を与えてこの世に送り出されるのです。誰もが異なる尊い使命を神から託されて生まれてきます。その中で、すべての人に共通する使命があります。それは、互いに愛し合い、支え合い、助け合って生きることです。この共通の使命を共に担うとき、社会は明るくなり、誰もが暮らしやすいものとなるでしょう。

 


自己主張よりもまず相手の意見に耳を傾けること、時には譲り合う広い心を持つことが大切です。現代人はあまりにも焦って生きています。それが自動車事故の多発や、人間関係における衝突の増加につながっているのかもしれません。心に余裕がないのです。残念なことに、その傾向は年齢を重ねるごとに強まることさえあります。人生の終着点が見えているにもかかわらず、すべてが虚しいと知りながらも、怒り、憎み、妬み、批判し、非難し、譲り合うことなく焦燥感に駆られて生きているのです。

 


今一度、自身の人生のゴールラインを見据え、大きく深呼吸し、これまでの歩みを振り返ってみましょう。「このままで良いのだろうか」と自問し、熟考する時間が必要です。神の御前で祈り、黙想する時間を持つのです。今は、悔いのない人生を締めくくるための大切な時です。この貴重な時間を無駄にせず、大切にしながら歩んでいきましょう。

2025年5月5日月曜日

新しい朝、確かな歩み、そして共に生きる喜び

 


千代大橋のたもと、広瀬川若林緑地の朝は、空気が澄んで格別です。今朝は、陸上トラックに足を踏み入れました。ここを一周すると、ちょうど1キロ。今日はどんな出会いがあるだろうか、そんな小さな好奇心を胸に、一歩、また一歩と走り始めます。教会から走ると広瀬川若林緑地まで約5キロ。

 


朝の柔らかな光の中、トラックには様々な人の息づかいがありました。軽やかに駆け抜ける若者、自分のペースでゆっくりと歩を進めるご年配の方々。それぞれの朝が、それぞれの速度で動き出しています。まるで、朝の光そのものが、彼らと共に「今」を生きているかのよう。そんな風景に見とれていると、空には思いがけないゲストが。美しい虹が、まるで祝福のようにかかっていました。思わず息をのみ、心が洗われるような瞬間です。

 

トラックを20周ほど重ねる頃には、最初にいた顔ぶれはいつの間にか去り、新しいランナーたちが加わって、また新たな朝の流れが生まれていました。まるで人生の縮図のようだな、と感じながら、私は走り続けました。今朝のランは31キロ。走り終えた後の心地よい疲労感と、この恵まれた時間に、ただただ感謝の気持ちが湧き上がります。

 


日中は、また別の「走る」時間です。これまで書き溜めてきたサンティアゴ巡礼のエッセイ集の完成稿と向き合いながら、新たに聖書の詩編150編を読み解くエッセイの執筆にも力を注いでいます。どちらも数年がかりの大きな挑戦ですが、まずはこの教会にいる間に形にすることを目指して、こつこつと歩みを進めています。自分自身への「頑張ろう!」というエールは、今日も健在です。

 


さて、今日は茄子とピーマンの味噌炒め、それから香ばしい小魚の炒め物を作りました。「美味しい!」と家族は言ってくれましたが、自分の中ではまあ70点くらいかな、と少し辛口評価。でも、料理は私にとって、日々のモチベーションを高めてくれる大切な時間。美味しいものを考え、作り、誰かと分かち合える。それだけで、また頑張ろうと思えるのですから、これもまた感謝です。娘は四連休もアルバイトに励んでいるとのこと。頑張っている姿に、心からのエールと感謝を送ります。

 



牧師として関わる方々には、人生の先輩であるご年配の方が多くいらっしゃいます。皆さん、それぞれの人生を懸命に歩んでこられた方々ですが、心身ともに溌剌とされている方は、残念ながら多くはありません。だからこそ、少しでも心が軽くなるように、希望を持てるようにと、日々祈り、言葉をかけ、励まし合いながら共に歩もうと努めています。けれど…なかなかその思いが届かない、と感じる瞬間があるのも正直なところです。

 


それでも、私たちは生きていく。どうせ生きるなら、元気に、そして味わい深く生きたいものです。人生という料理を美味しくするには、良い「味付け」が必要ですが、何よりも大切なのは「素材」そのもの。健康で、新鮮な素材があってこそ、最高の味が引き出されます。私にとって、その揺るぎない素材とは、キリストへの信仰です。どんな状況にあっても、何があっても決して揺らぐことのない、確かな価値観、確固たる信念。これさえしっかりしていれば、人生のどんな嵐にも立ち向かえる。そう信じています。

 

この確かな希望、生きる力の源となる信仰を、言葉と生き方を通して伝えていくこと。それが牧師としての大切な役割なのだと、改めて思います。

 

だから今日も、目の前の小さなことから。

共に笑い、食卓を囲み、美味しいねと言い合い、この一日を大切に生きていく。

そこに、かけがえのない喜びがあると信じて。

 

人生のヒント

  1 【ダビデの詩。】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。 2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。 3 主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し 4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみ...