あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。秘められたところでわたしは造られ/深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから。(詩編139編13-16節)
一般的に、家電製品の寿命は種類や使用頻度、環境によって異なりますが、大型家電で7年~10年、小型家電では3~5年程度が目安とされています。毎日使う冷蔵庫でさえ、長くても15年ほどです。
それに比べ、人間の臓器がいかに驚異的であるかと思わされます。心臓、胃袋、肝臓、手足、声帯など、私たちの体は毎日休みなく働き続け、80年から100年、あるいはそれ以上も機能し続けるのです。この事実に、人間を創造された神の偉大さを感じずにはいられません。私たちは神によって創造された傑作であり、だからこそ大切にすべき存在なのです。
実際に、エフェソの信徒への手紙2章10節には「わたしたちは神に造られたものであり」と記されています。ここでの「造られたもの」とは、原文では「傑作品」を意味します。ありふれたものではなく、天地創造の神が心を尽くして真剣に造り上げた傑作であるということです。
この事実を認識して生きるか否かで、人生は大きく変わってきます。なぜなら、自身の真の価値を知って生きる人と、そうでない人とでは、生き方そのものに大きな違いが生まれるからです。多くの場合、自ら命を絶つ人々は、自身の真の価値に気づいていません。自分を無価値な存在だと考えてしまうのです。
しかし、私たちがこの世に生を受けたのには理由があります。神は一人ひとりに使命を与えてこの世に送り出されるのです。誰もが異なる尊い使命を神から託されて生まれてきます。その中で、すべての人に共通する使命があります。それは、互いに愛し合い、支え合い、助け合って生きることです。この共通の使命を共に担うとき、社会は明るくなり、誰もが暮らしやすいものとなるでしょう。
自己主張よりもまず相手の意見に耳を傾けること、時には譲り合う広い心を持つことが大切です。現代人はあまりにも焦って生きています。それが自動車事故の多発や、人間関係における衝突の増加につながっているのかもしれません。心に余裕がないのです。残念なことに、その傾向は年齢を重ねるごとに強まることさえあります。人生の終着点が見えているにもかかわらず、すべてが虚しいと知りながらも、怒り、憎み、妬み、批判し、非難し、譲り合うことなく焦燥感に駆られて生きているのです。
今一度、自身の人生のゴールラインを見据え、大きく深呼吸し、これまでの歩みを振り返ってみましょう。「このままで良いのだろうか」と自問し、熟考する時間が必要です。神の御前で祈り、黙想する時間を持つのです。今は、悔いのない人生を締めくくるための大切な時です。この貴重な時間を無駄にせず、大切にしながら歩んでいきましょう。