午前4時。
まだ世界が深い藍色に包まれているこの時間は、僕にとって特別なクラブ活動の始まりです。メンバーは、僕と愛犬のノア。しんと静まり返った街を、ノアの軽やかな足音だけが彩ります。この日の朝は、正直に言うと「今日はランニングはお休みにしよう」と心に決めていました。
散歩から帰宅し、いつものランニングウェアではなく、ラフな散歩着のまま家を出ました。今日のメニューは、近所にある255段の階段を上ってからのんびりウォーキング。うん、体と相談した、クレバーな選択だ。そう自分に言い聞かせて歩き始めました。
ところが、人間の体とは面白いものです。
2キロほど歩いたでしょうか。ゆっくりと、でも確実に、心と体にじんわりと火が灯っていくのを感じました。ふつふつと内側から湧き上がるエネルギー。「あれ…?これ、走れるんじゃないか?いや、むしろ走りたい!」。
一度かかったエンジンは止められません。僕はウォーキングモードからランニングモードへ、カチリとスイッチを切り替えました。そこからはもう、感じるままに。まだ眠りから覚めきらない街の景色が、柔らかな光と共に後ろへと流れていきます。新聞配達のバイクの音、少しずつ明るさを増していく空、シャッターの開く音。街がゆっくりと目覚めていく様子を肌で感じながら走るのは、朝ランの醍醐味の一つです。気づけば、市街地をぐるりと巡り、約11キロを走りきっていました。
「今日もいい汗かいたなー!」
達成感に満たされ、爽やかな疲労と共に帰宅。玄関でシューズを脱いだ、その時でした。かかとに、じわりと血が滲んでいるのを見つけたのです。ああ、やっちゃった。散歩用のゆるい靴下で走り出したせいで、靴擦れを起こしてしまったようです。
ランニングには、衝撃を吸収し、足をサポートしてくれるウェアやシューズがある。
スイミングには、水の抵抗を減らし、体を冷えから守るスイムウェアがある。
サッカーには、激しい動きに対応し、プレイヤーを守るためのユニフォームがある。
それぞれのスポーツに最適な「ウェア」があるように、僕たちの心にも、そんな専用の「ウェア」があればいいのにな、と、ズキズキする踵を見ながら、ふと思いました。
腹が立って、今にも爆発しそうな時に着る**「冷静のクールダウンシャツ」。
誰かを羨む嫉妬心で胸が苦しくなった時に羽織る「自分を認めるジャケット」。
どうしようもない孤独に襲われた夜に、そっと体を包んでくれる「温もりのブランケット」。
何もかもが面倒くさくなった朝に着る、「とりあえず一歩踏み出すためのジャージ」。
そして、涙が止まらないほど悲しい時に、優しく涙を吸い取ってくれる「希望のタオル」**。
スポーツ用のウェアが体を守り、パフォーマンスを上げてくれるように、そんな「心のウェア」があれば、僕たちはもっとうまく、自分の感情と付き合っていけるのかもしれない。
靴擦れはちょっと痛いけれど、おかげで大切なことに気づけた、夏の朝。
体を動かすためのウェアも大事。でも、それ以上に、自分の心をケアするための「ウェア」を、日頃からちゃんと用意しておくことの方が、もっとずっと大事なんだ。
そんなことを考えさせられた、忘れられないランニングになりました。まずは、この靴擦れを治すための「絆創膏」というウェアを貼ることから始めますかね。
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