1【賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子/アブサロムを逃れたとき。】2主よ、わたしを苦しめる者は/どこまで増えるのでしょうか。多くの者がわたしに立ち向かい3多くの者がわたしに言います/「彼に神の救いなどあるものか」と。〔セラ4主よ、それでも/あなたはわたしの盾、わたしの栄え/わたしの頭を高くあげてくださる方。5主に向かって声をあげれば/聖なる山から答えてくださいます。〔セラ 6身を横たえて眠り/わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。・・・・・(詩編3編)
眠れない夜に、あなたの「盾」となる歌
深夜3時、世界が静寂に包まれる中で、あなたの心だけが騒がしい。
スマートフォンの青い光が照らすのは、終わらない仕事のプレッシャー、SNSで目にする誰かの輝かしい人生、未来への漠然とした不安。目には見えないけれど、四方八方から押し寄せる無数の「敵」に囲まれ、心はすり減っていく。眠りたいのに、眠れない。そんな夜を、あなたも経験したことがあるかもしれません。
今から三千年も昔、ダビデという一人の王がいました。彼が対峙していたのは、比喩ではない、本物の槍や剣を持った敵でした。最も辛いことに、その敵の中には、彼が心から愛した我が子もいたのです。裏切りと孤独、命の危険。その絶望の淵で、彼は一つの歌を詠みました。それが、詩編3編です。
この詩は、単なる嘆きの歌ではありません。それは、嵐の真ん中で穏やかな安らぎを見出すための、奇跡の処方箋です。
ダビデは叫びます。「しかし主よ、あなたこそ、わたしの周りを囲む盾」。
想像してみてください。降り注ぐ批判の矢、心をえぐる不安の槍。それらが、あなたに届く前に、目には見えないけれど何よりも強固な「盾」によって防がれていく様を。ダビデは、自分の力で戦うことを、ある時点で手放したのです。彼は、自分よりもはるかに大きく、確かな存在に、自分の心の守りをすべて委ねました。
これが、神への「信頼」です。
現代を生きる私たちにとって、この「信頼」は、自分の無力さを認めることから始まります。一人で全部を背負わなくてもいい、と許可を出すことです。眠れない夜、ベッドの中で、そっと心の中で語りかけてみてください。
「神様、もう疲れました。私の周りには、たくさんの不安や批判があります。どうか、私の盾となってください」。
その祈りは、あなたの弱さの告白であると同時に、最も力強い信仰の宣言です。重たい鎧を脱いで、神という名の安全な砦に身を寄せる行為だからです。そうして初めて、私たちはダビデが経験した「安心して眠り、また目覚める」という深い安らぎを、自分のものとすることができます。
神に守られている。その絶対的な安心感が、私たちに明日へ一歩踏み出す勇気を与えてくれます。周りがどう言おうと、状況がどれほど絶望的に見えようと、「私の盾」が共にある。そう信じられるなら、私たちはもっと自由に、もっと大胆に、自分の人生を生きることができるはずです。
もし今、あなたが人生の嵐の中にいるのなら、この古代の王の歌を思い出してください。それは、あなたのための歌です。あなたの心の周りに見えない盾を置き、どんな時も希望は失われないと教えてくれる、力強い応援歌なのです。
夜が明けるたびに、新しい力があなたに注がれる。さあ、顔を上げて。あなたの盾は、いつも共にあります。
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