2025年7月18日金曜日

苦難は・・・希望を

 


そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、

忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ5:3-5

 

この階段の上り下りは、人生の苦しみがもたらす利点を教えてくれます。

人生の苦しみは、まさに**255段の階段を上る」**という困難な行為に似ています。

それは辛く、息が切れ、足を止めたくなるものです。

 

しかしキリスト教信仰において、その苦しみは無意味ではありません。

 

霊的な筋力を鍛える: 階段を上ることで足腰が強くなるように、苦しみは私たちの**忍耐、信仰、そして謙虚さという「霊的な筋力」**を鍛え上げます。平坦な道だけを歩いていては、決して得られない強さです。

 

より高い視点を与える: 苦しみを乗り越えた先には、平地からは見えなかった神の計画や、より広い視点、そして天にある希望という**「新しい景色」**が見えてきます。

 

苦しみは、神が私たちをより強く、より高い場所へ導くための**「聖なる訓練」**であると捉えられているのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

夏の始まりを告げる、黄金の鎧 ―空っぽの奇跡が教えてくれたこと―

長い梅雨が明け(?)、本格的な夏の太陽がじりじりと地面を焼き始める午後。ふと、そこに小さな戦士の姿を見つけました。   硬質なコンクリートに、その最後の瞬間までしがみつくように残された、一匹のセミの抜け殻。それは、これから始まる命の大合唱を約束するかのようで、一瞬、胸に畏敬の...