2025年12月24日、午後11時30分

 


20251224日、午後1130分。 クリスマスイブが静かに幕を閉じようとしています。礼拝堂の蝋燭の灯が消え、街の喧騒も遠のいたこの「最後の時間」に、私たちの心の奥底にある問いを静かに見つめてみたいと思います。


🎄 聖夜の終わりに――「本質」と出会う静かな時間

今日という日は、多くの人にとって「喜び」の日でした。しかし同時に、ある人にとっては「人知れぬ重荷」を抱えながら過ごした一日だったかもしれません。一日の終わりに、私たちは自分自身に問いかけます。

 

1. 本当の悩み、本質的な悩みとは

私たちは日々、多くのことに思い煩います。仕事、健康、将来、そして家族のこと。

今日、娘が病室で過ごした時間は、親である私にとっても「本当の悩み」を突きつけられる時間でした。

しかし、本質的な悩みとは、事象の良し悪しそのものではありません。それは、「自分は独りではないか」「この苦しみに意味はあるのか」という、神様とのつながりに対する不安です。私たちが本当に恐れているのは、状況の悪化ではなく、そこから神様が不在になってしまうことなのです。

 

2. 本当の喜び、本質的な喜びとは

プレゼントを手にした時の高揚感や、賑やかな会食の楽しさは素晴らしいものです。しかし、それらは時と共に過ぎ去ります。

本質的な喜びとは、状況に左右されない確信です。たとえ暗闇の中にいても、「主が共におられる」という一事によって、心の底から湧き上がる静かな平安。それは、2000年前、暗い馬小屋の片隅で羊飼いたちが味わった、世界がどれほど冷たくても「救い主が生まれた」という、揺るがない希望のことです。

 

3. 本当の幸せ、本質的な幸せとは

思い通りに事が運ぶこと、欠けのない生活を送ること。私たちはそれを幸せと呼びがちです。しかし、現実はしばしば理想を裏切ります。

本質的な幸せとは、「Doing(何かをすること)」の成功ではなく、「Being(そこにあること)」の受容です。神様に造られ、愛され、生かされているという事実そのものを丸ごと受け入れること。何かが「できる」から幸せなのではなく、神様の慈しみの中に「今、存在している」こと。これこそが、どんな逆風の中でも私たちを支える本当の幸せです。

 

4. 本当の愛、本質的な愛とは

私たちは愛されたいと願い、愛そうと努めます。しかし、私たちの愛はしばしば条件付きになり、見返りを求めてしまいます。

本質的な愛とは、今夜私たちが祝った「インマヌエル(我らと共にまします神)」そのものです。神様が、欠けだらけの私たちのために、天の座を捨てて、低く汚れた飼い葉桶へと降りてきてくださった。何の条件もなく、ただ「あなたが必要だ」と手を差し伸べてくださる自己犠牲的な愛。この愛に包まれていると知るとき、私たちは初めて、隣人をありのままに愛する自由を得るのです。

 

🕊️ 聖夜の終わりに

時計の針が重なり、新しい一日が始まろうとしています。 「悩み」が消える魔法はありません。しかし、その悩みの中で「本質的な愛」に出会うとき、私たちの悩みは「祈り」へと変えられます。娘の回復を待つ夜も、教会の100周年を想う日々も、この本質に繋がっている限り、すべては神様の御手の中にあります。

 

今夜、あなたの心にあるすべての問いが、主イエスの温かな光に照らされますように。 本質的な幸せが、あなたを包み込みますように。

主の平和が、あなたと共に。 メリークリスマス。

 

コメント