番付が好きな人間社会

 


🏆 番付という「終わりのない階段」

 昨日のフルマラソンで疲れた身体を休めようと、今朝は目覚ましをかけずに眠りました。しかし3時には自然と目が覚めて、静かに仕事に取りかかることに。ノアちゃんの散歩は、昨夜の23時ごろに済ませていたので、今朝はゆっくりとコーヒーを淹れて、しばしの静かな時間を楽しみました。

1231日(水曜日)──2025年、最後の一日。

カップから立ちのぼる湯気を眺めながら、ふとこんなことを考えていました。

この時期になると、あちこちで「番付」や「ランキング」の記事が目に入ります。 今年の○○ベスト10、注目された人、話題になった出来事……。「世界最大の都市はインドネシアのジャカルタになり、東京は第3位に──」 そんな記事が目に留まりました。……で、2位は? 気になりますか?

実は私は、こういう記事を見ても、自分の関心がなければ中身まで読まないタイプです。 今回も、見出しだけ読んで「へぇ〜」と思っただけで、2位がどこかは知りません。 というか、気にもなりませんでした。情報があふれる時代。 何を「気にするか」、何を「スルーするか」って、実はすごく大事な選択なのかもしれませんね。

 つくづく思うのは、人間ほど「順位」や「評価」が好きな生き物はいないのかもしれないということ。 でも、本当に大切なことは、番付には載らないところにあるのかもしれませんね。

1位になろうとする焦燥

1位を目指す過程は、一見、向上心に満ちているように見えます。しかしその原動力が「優越感」や「他者からの承認」であるなら、頂点に近づくほど、心は平安から遠ざかります。なぜなら、「自分より上の存在」を消し去るための戦いに、終わりはないからです。

 1位を守ろうとする孤独

1位に立った瞬間、そこは「安らぎの場」ではなく「戦場」に変わります。下から追い上げてくる者への警戒心、いつか滑り落ちるのではないかという予期不安。「守るべき椅子」がある人は、本当の意味で自由にはなれません。その場所で「幸せ」を感じることは、極めて困難です。


🕊️ 「番付」を捨て、「神の前の唯一」へ

わたしの人生のモットー「Solo Dios Basta(神さまだけで十分)」という言葉は、この「番付社会」に対する強力な解放宣言です。決してこの世の仕組みに、この世の誘惑のとりこにならない。また周りの歓声に自分の人生の基準が揺れることがないように注意して生きることも重要です。

 垂直の競争から、水平の歩みへ: 誰かより上に立つのではなく、主が備えられた「自分だけの道」を歩むこと。マラソンでいえば、順位ではなく「昨日のように42.30kmを主と共に走り抜くこと」に価値を置く生き方です。

「代わりのいない一人」としての喜び: 神様の愛には「番付」がありません。1位も最下位もなく、一人ひとりが「代わりのきかない、最高に愛されている一人」です。この「絶対的な肯定」の中にいる人こそが、本当の意味で幸せな人です。

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