冷気を熱に変えて —— 四百五十キロの軌跡と、昇る朝日
氷点下四度の呼吸、白く弾ける生命
今朝の五時。玄関のドアを開けた瞬間、マイナス四度の冷気が容赦なく肌を刺しました。 街はまだ深い眠りの中にあり、街灯の光だけが凍てつく路面を静かに照らしています。
肺の奥に吸い込んだ空気は氷のように冷たく、一瞬、身体が縮こまるのを感じます。けれど、走り出して数キロ。足裏が地面を叩き、心拍が上がっていくにつれ、その冷気は自分自身の内側で「熱いエネルギー」へと変換されていきます。
吐き出す息は白く、けれどその中身は、生命の燃焼そのものです。
「四百五十キロ」という道のりの意味
今日、二十一キロを走り終えました。 これで今週は百七キロ。そして、一月という一ヶ月を振り返れば、十八日間で約四百五十キロという距離を駆け抜けたことになります。
人は、「なぜそこまでして走るのか?」と問うかもしれません。 確かに、凍える朝に温かい布団を離れるのは、意志の力だけでは難しい時もあります。けれど、走り続ける中でしか出会えない景色があるのです。二十一キロの終盤、視界の先からゆっくりと顔を出した朝日。
それは、単なる自然現象ではありませんでした。夜の闇を切り裂き、凍える世界を赤々と照らし出すその光は、私の内側に眠る「希望」と「勇気」に再び火を灯してくれる、神様からの合図のように感じられたのです。
命がある限り、私たちは「動詞」を生きる
走り続けることは、私にとって単なる運動ではありません。それは「祈り」であり、「愛」の告白でもあります。私たちは、一度きりの命という贈り物を預かっています。
その命をどう使うか。聖書は、私たちがただ立ち止まっているのではなく、与えられた道を走り抜くことを求めています。
「走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(テモテへの手紙二 4章7節より)
人生という長い道のりには、マイナス四度の冷風が吹き荒れる日も、足が動かなくなるほど疲弊する日もあるでしょう。けれど、その冷たさをエネルギーに変え、一歩を刻み続けること。
- 走り続けること。
- 祈り続けること。
- 語り続けること。
- 愛し続けること。
これらはすべて、私たちが「今、ここに生きている」という証です。明日から始まる二月も、道は続いていきます。どんな天候であっても、昇る朝日は変わらず私たちを待っています。
新しい月を迎えるあなたへ
あなたは今、どんな冷気の中に立っているでしょうか。 もし、心が凍えてしまいそうな場所にいたとしても、大丈夫です。まずは一歩、踏み出してみてください。
その小さな動きが、あなたの内側にある熱を呼び覚まします。 四百五十キロという大きな数字も、始まりはたった一歩の踏み出しからでした。
主の光は、すでにあなたの行く先を照らしています。 その光を信じて、共に新しい月へと足を進めましょう。
今日も、精一杯に生きることです。命がある限り・・・
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