心の曇りを突き抜けて —— 四十四キロの先に見えた「理由」
暁の冷気と、路面を叩くリズム
今朝の仙台は、肌を刺すような冷気が街を包み込んでいました。 まだ星が眠りの中に留まっている早朝、私はシューズの紐をきつく締め、特別な思いを胸に四十四キロという距離に挑みました。
一歩、また一歩。 フルマラソンをも超えるその道のりは、肉体の疲労だけでなく、自分自身の内面と深く向き合う静寂の時間でもありました。吐き出す息が白く弾け、心拍の鼓動だけが自分の存在を証明するように響きます。
本当の敵は「雨」ではなく「霧」
長い距離を走る時、私たちの足を止める一番の原因は何でしょうか。 凍てつくような雪でしょうか。降り続く雨でしょうか。あるいは、容赦なく照りつける太陽でしょうか。
実は、そうではありません。 ランナーの心を最も挫けさせるのは、外側の天候ではなく、**内側の「心の曇り」**です。
- 「なぜ、自分はこんな苦しいことをしているのか」
- 「この一歩に、一体どんな意味があるのか」
走る意味が曖昧になったとき、心の中に深い霧が立ち込めます。すると、わずかな向かい風さえも絶望的な壁のように感じられてしまうのです。反対に、「なぜ走るのか」という理由が岩のようにしっかりと定まっていれば、雪が舞おうと、嵐が来ようと、足は自然に前へと進みます。外側の条件は、もはや「走らない理由」にはならないのです。
「生きる理由」が、今日を支える骨組みになる
これは、私たちの人生という長い道のりにおいても、全く同じことが言えるのではないでしょうか。
なぜ、今日も働くのか。 なぜ、机に向かって勉強するのか。 なぜ、この困難な世界で生き続けなければならないのか。その「確かな理由と目的」を見失うとき、私たちは人生の天候に振り回されてしまいます。上手くいっている時はいいけれど、一度逆風が吹けば、立ち上がる力を失ってしまう。
聖書は、私たちが「たまたま」ここにいるのではなく、神様の確かなご計画と愛によって、この時代、この場所に「遣わされている」ことを教えてくれます。
主はわたしたちに「生きよ!」とおっしゃいます。
私たちが生きる最大の理由は、私たちが神様に愛され、必要とされているからです。その目的が魂の錨(いかり)として深く下ろされているなら、どんなに人生の季節が厳しくても、私たちは歩みを止めることはありません。
今日を歩むあなたへ
今、あなたの前にはどんな景色が広がっているでしょうか。 もし、足元が見えないほどの霧の中にいたとしても、大丈夫です。
まずは、「今日、生かされている」というその事実の中に、神様の招きを見出してみてください。大きな成功や立派な成果でなくていい。ただ、与えられた今日という一日を、愛する誰かのために、あるいは自分自身の成長のために、一歩ずつ進めていく。
その「理由」さえあれば、あなたはどんな嵐も突き抜けていくことができます。 主は、あなたの伴走者として、今も隣を走っておられます。
今日も、精一杯に生きることです。
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