心の「停滞期」を、聖なる休息に
「空っぽ」のままで、主の前に
祈りの言葉が出てこない、心が枯れた井戸のように何も湧いてこない――。そんな「心の停滞期」が誰にでも訪れます。周りの人々が皆、光に向かって軽やかに走っているように見えるとき、立ち止まっている自分にがっかりしてしまうこともあるかもしれません。けれど、聖書に登場する預言者エリヤもそうでした。大きな働きをした後、彼は疲れ果てて木の下に座り込み、「もう、これで十分です」と、生きる気力さえ失ってしまいました。
「やる気」に相談するのをやめる
そんなとき、一番の処方箋は「やる気が出るのを待つ」ことではありません。むしろ、やる気という頼りない感情に相談するのを一度やめてしまうことです。
神様が疲れ切ったエリヤに最初に与えられたのは、説教でも励ましでもなく、「パンと水と、深い眠り」でした。やる気が出ないのは、心が怠けているからではなく、あなたの魂が新しい恵みを溜めるために「待機」している証拠です。
「今日は、これだけでいい」 そう決めて、コップ一杯の水を丁寧に飲む。窓を開けて外の空気を吸う。あるいは、一分だけ目を閉じて主の静かな臨在に身をゆだねる。
弱さの中に注がれる愛
私たちの価値は、何かができる「やる気」や「成果」によって決まるものではありません。私たちが「からっぽ」で、一歩も動けないときにさえ、主は変わらぬ愛の眼差しで隣に座ってくださっています。停滞期は、あなたが自分の力で走るのをやめ、神様の力によって「生かされている」ことを思い出すための、大切な聖なる休息の時間なのです。
答えが出なくても、霧が晴れなくても大丈夫です。今の重たい身体のまま、主の御手の中に身を預けてみてください。
今日も、前進です。
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