👨👩👧👦同じ屋根の下の、遠い島々を繋ぐもの
湯気の向こうに、沈黙が流れる季節
昨夜は、23時ごろに娘のバイトが終わるのに合わせて迎えに行きました。車の中で交わした何気ない会話が、思いがけず心を温めてくれました。その時間を持てたことに、ただただ感謝しています。
睡眠時間は少し削られましたが、まったく問題ではありません。睡眠よりも大切な誰かのために時間を使えることは、むしろ喜びであり、生き甲斐です。
人生の中で、こうした小さな「尊い時間」を積み重ねられることこそ、幸せなのだと思います。今この瞬間、窓を叩く冷たい風が、冬の深まりを静かに知らせています。
一日の終わり、家路を急ぎ、玄関のドアを開ける。そこには温かな明かりが灯っているはずなのに、ときどき、家の中が外の空気よりも静まり返っているように感じられることはないでしょうか。そんな静けさの中でこそ、人はふと、自分の心の声に耳を澄ませるのかもしれません。
そして、誰かと交わした小さな会話や、温かな時間の意味を、そっと思い返すのだと思います。けれども、キッチンのテーブルに置かれた、誰かの食べ終えたあとの食器。 廊下の向こうの閉まったドアから漏れる、わずかなスマホの音。 かつて一家団欒の象徴だった「茶の間」の風景は、いつしかそれぞれの個室という「島々」の集まりへと姿を変えてしまったようです。
効率のなかで、こぼれ落ちた「不自由な愛」
現代の家族は、核家族化が進み、さらにその中でも一人ひとりが自分だけの世界を造り上げるようになりました。 SNSでの繋がり、個人の趣味、あるいは深夜まで続く仕事や勉強。私たちは「自分の時間を大切にする」という名目のもとに、家族という最も身近な他者の存在を、どこか遠くに追いやっているのかもしれません。「自由に決めていい」
「干渉しないで」
そんな言葉が尊重される一方で、私たちは気づかないうちに、**「共にいることの不自由さ」**から逃げ出しています。食事の時間を合わせること、今日あった些細な出来事を報告し合うこと。それらは確かに効率が悪く、面倒なことかもしれません。けれど、その「面倒くささ」こそが、バラバラに漂う島々を繋ぎ止める、唯一の錨(いかり)だったはずなのです。
いったい、何が起きたのでしょうか。私たちは便利さを手に入れる代わりに、相手の心の温度を感じる機会を、少しずつ手放してしまったのかもしれません。
孤島に橋を架ける、たった一言の勇気
聖書は、私たちに「隣人を自分のように愛しなさい」と教えます。
この「隣人」とは、遠い国の人だけではありません。むしろ、一番近くにいて、一番その内側を知るのが難しい、扉の向こうの家族のことではないでしょうか。家族とは、最初から一つである「完成品」ではありません。
すれ違う心、言葉足らずな寂しさ、ぶつかり合う個性を抱えながら、それでも「共に生きる」ことを諦めずに選び続ける。そんな祈りにも似た日々の積み重ねによって、ゆっくりと「造り上げられていく」共同体なのです。たとえ生活のリズムがばらばらでも、
たとえ共有する時間が少なくても、
相手の世界を無理に壊すのではなく、その境界線にそっと腰を下ろしてみる。
「おかえりなさい」
「今夜のスープ、温かいよ」
そんな、見返りを求めない小さな優しさが、冷え切った家の中に一筋の光を通します。愛とは、理解すること以上に、**「そこにいることを喜び、待ち続けること」**なのかもしれません。
希望を持って、扉をノックするあなたへ
今夜、もし家族の誰かと顔を合わせる瞬間があるなら、ほんの少しだけ視線を合わせてみませんか。
答えを求めない問いかけ、ただそこにいることを肯定する眼差し。
それだけで、凍てついた島々の間に、温かな海流が流れ始めます。愛とは、特別なドラマではなく、今日という一日の「平凡な誠実さ」の中に宿るものです。
あなたの守る食卓の温度が、誰かの凍えた心をそっと解かしてくれますように。
今日も、精一杯に生きることです。

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