【灯をともす:四旬節の旅路】荒野の誘惑 ―― 「必要」と「空腹」の間で
2026年2月21日、四旬節の第一土曜日を迎えました。
週100キロを走り抜くランナーが、その強靭な肉体を維持するために良質な栄養を求めるように、私たちの魂もまた、この節制の季節に「真の糧」を求めています。今日の黙想は、主が公生涯(公の活動)を始める直前、40日間の断食の果てに向き合われた「誘惑」の物語です。
石をパンに変えよ
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイによる福音書 4:4)
空腹が極限に達したイエス様に対し、悪魔はささやきました。「神の子なら、この石をパンに変えてみたらどうだ」。 これは単なる食欲への誘惑ではありません。「自分の能力を、自分の欠乏を満たすためだけに、神のルールを無視して使え」という、自己中心性への誘惑でした。
主はこれに対し、申命記の言葉を引用して退けられました。肉体の空腹(必要)よりも、神様との繋がり(真理)こそが命の根源であることを示されたのです。
消費という名の「乾き」
現代を生きる私たちは、常に「もっと、もっと」という声に囲まれています。 お腹が空けばすぐに食べ、不安になれば物を買い、承認が欲しければSNSに答えを求める。私たちの「石をパンに変える技術」は高度に発達しましたが、それによって心は本当に満たされたでしょうか。
「これさえ手に入れば幸せになれる」という思い込みは、実は私たちの魂を、終わりなき消費の荒野へと追いやっています。肉体の空腹を満たすことに必死になるあまり、心の深層にある「魂の飢え」に気づかない振りをしているのが、現代人の写し鏡かもしれません。
命を支える「見えない糧」
キリスト者にとっての教訓は明確です。私たちの「有能さ」や「資源」は、自分の欠乏を埋めるためだけにあるのではありません。 イエス様がパンの誘惑を退けられたのは、後にご自身が「命のパン」として、私たちのために裂かれるためでした。
本当の意味で「生きる」とは、身体的な生存(Survive)を超えて、神様の愛というリズムの中で生かされる(Alive)ことです。パンは胃を満たしますが、神の言葉は「生きる意味」を満たします。
現代人へのメッセージ
週100キロを走るランナーが、6時間睡眠と8時間睡眠の差を「細胞の修復」の差として実感するように、あなたの魂もまた、何を「食べて」いるかによって、その健やかさが決まります。
もし今、あなたがどれだけ手に入れても満たされない「乾き」を感じているなら、一度立ち止まって、自分に問いかけてみてください。 「私は今、石をパンに変えようと、自分一人の力で必死になっていないだろうか?」
この四旬節、あえて「便利さ」や「即物的な満足」を少しだけ遠ざけてみることで、あなたの内側に「聖なる空腹」を作ってみてください。その空っぽになった場所にこそ、神様の言葉という、あなたを永遠に支える真の栄養が流れ込んでくるのです。
この40日間の旅路において、あなたが「これだけは控えて、代わりに神様との対話に充てたい」と思う時間はありますか? 1日10分の静寂、あるいは食事の前の数秒の感謝。あなたが今、魂の栄養として求めている「言葉」があれば、ぜひ私に教えてください。
*今日も朝ラン21キロ完走。今週は110キロ完走でした。
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