2026年3月15日日曜日

【灯をともす:四旬節の旅路】第26日目

 


【灯をともす:四旬節の旅路】第26日:友の裏切り ―― 砕かれた関係の先にあるもの

1. 聖書の場面:ユダの接吻と弟子の逃亡

「イエスがまだ話しておられると、十二弟子のひとりのユダがやって来た。……ユダはすぐにイエスに近寄り、『先生、お元気で』と言って接吻した。……そのとき、弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げ去った。」 (マタイによる福音書 2647-56節)

ゲツセマネの園での祈りを終えたイエスの前に現れたのは、三年間寝食を共にした弟子の一人、ユダでした。彼は「親愛の情」を示すはずの接吻(くちづけ)を、あろうことか裏切りの合図として使いました。さらに、他の弟子たちも身の危険を感じ、一人、また一人と闇の中に消えていきました。主イエスはこの時、完全な孤独の中に置かれたのです。

 


2. キリスト者への教訓:私たちの内なる「弱さ」を認める

ユダを非難することは容易ですが、この物語は私たち自身の姿をも鏡のように映し出しています。私たちは、自分の利益や保身のために、主の教えに背を向けたり、大切な人との信頼を裏切ったりすることはないでしょうか。

しかし、この物語の驚くべき点は、主イエスが自分を売るユダに対してさえ「友よ」と呼びかけられたことです(マタイ26:50)。主は、裏切られることを知りながら、最後まで彼らを愛し、赦そうとされました。キリスト者にとっての教訓は、自らの不完全さを謙虚に認め、それすらも包み込む主の圧倒的な恵みに依り頼むことにあります。

 


3. 現代人へのメッセージ:孤独を恐れず、赦しから始める

SNSやデジタルな繋がりが溢れる現代においても、私たちは「誰からも理解されない」「信頼していた人に裏切られた」という深い孤独を感じることがあります。一度壊れた関係を修復するのは難しく、私たちは心を閉ざし、孤立という殻に閉じこもり勝ちです。

主イエスの孤独は、私たちの孤独を共有するためのものでした。あなたがもし今、人間関係の破綻や孤独に苦しんでいるなら、主もまたその痛みを通られたことを思い出してください。

「裏切り」の連鎖を止めるのは、報復ではなく「赦し」です。まず自分自身の弱さを赦し、そして他者を赦す一歩を踏み出すとき、そこには新しい関係の夜明けが訪れます。主が孤独の中で愛を貫かれたように、私たちもまた、冷え切った世界に温かな「赦し」の灯をともす者でありたいと願います。


黙想のひととき

  • あなたが今、赦せずにいる自分、あるいは他人はいますか?
  • 孤独な時に、主があなたの隣に座っておられることを感じてみましょう。

主の日の平安が、あなたと共にありますように。

 

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