【四旬節の黙想】墓の中の安息 ―― 「見えない場所」で進む神の御業
1. 墓の静寂に隠された神の働き
「アリマタヤ出身のヨセフは、ピラトにイエスの遺体を引き取りたいと願い出た。……彼らはイエスの遺体を引き取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で巻いた。」
(ヨハネによる福音書 19章38〜40節)
十字架の激しい嵐が過ぎ去り、世界は深い沈黙に包まれました。 主イエスは新しい墓に横たわり、弟子たちは恐れと絶望の中で扉を閉ざしていました。
表面的には、すべてが止まり、神が沈黙しているように見える時間。 しかし、この暗闇の奥で、神の救いの計画は静かに、決定的に動いていたのです。
誰にも見えない場所で、復活という歴史最大の逆転劇が準備されていました。
2. 「待つこと」「委ねること」に宿る信仰
私たちはどうしても「動いている実感」や「目に見える成果」を求めてしまいます。 走っていないと不安になる。 何かしていないと、神に見放されたように感じてしまう。
しかし、聖土曜日は“待つことの霊性”を教える日です。
今日のランニングは、「休む」ことを選んだように、 信仰にも「自分の手を止め、神の手に委ねる時間」が必要です。
私たちの目に見えないところで、神は最善のタイミングで最善の業を成し遂げてくださる。 墓の静寂は敗北ではなく、明日の大逆転に向けた“聖なる休息”なのです。
3. 「効率」を手放した先に見える希望
私たちは、スピードと効率に追われながら生きています。 だからこそ、「立ち止まる」ことは勇気のいる決断です。けれど、土を耕したあと、種が芽を出すまでの沈黙の時間が必要なように、
人生の十字架のあとには、必ず「土曜日のような空白」が訪れます。
この空白をどう受け取るかで、人生の景色は変わります。
- 停滞と見るか
- それとも、再生のための潜伏期間と見るか
シンプルに生きるとは、 自分の限界を認め、神のスケジュールに身を委ねることです。
今日あなたが抱えている不安や痛みも、 そっと主と共に“墓の中”に置いてみてください。
それらは明日、 想像もしなかった「復活の命」として花開くためのプロセスなのです。
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