説教題:「余白」という名の自立 ―― 100点満点を目指さない勇気
聖書:レビ記 19章9~10節/讃美歌11番-1、2節、頌栄541番
新しい年度が始まり、少しずつ新しい環境に慣れてきた頃でしょうか。それとも、まだ「何かしなければ」と心が急いているでしょうか。今の時代、私達は「効率」という神様に支配されているようです。どれだけ短時間で成果を出すか、どれだけ無駄を省いて自分をアップデートできるか。スマホを開けば、常に誰かと自分を比べ、100点満点の人生を「刈り尽くそう」と必死になっています。しかし、そうやって効率を突き詰め自分の人生を100%埋め尽くそうとすればするほど、不思議な事に、私達の心はかえって孤独になり余裕を失っていきます。今日読んだ聖書の言葉は、約3000年以上も前の、農業に関するルールです。神様は言われました。「収穫するとき、畑の隅っこまで全部刈り取ってはいけない。落ちた穂も拾い集めてはいけない。それは、助けが必要な人の為に残しておきなさい」と。現代の経済学や効率から考えれば、これは「もったいない」事かもしれません。全部刈り取って倉庫に入れ、困っている人が来たらそこから分けてあげる方が、衛生的で効率的です。 しかし、神様はあえて「畑に残せ」と命じられました。
そこには二つの意味があります。一つは、助けが必要な人の「プライド」を守る為です。誰かに頭を下げて恵んでもらうのではなく、自らの手で穂を拾うという「労働」を通して、その人が自分の足で立つのを助けるためです。そしてもう一つは、持っている側の「傲慢」を防ぐためです。自分の力ですべてを手に入れたと思うのではなく「この実りは自分だけのものではない」という「余白」を持つ事で、私達は初めて、他者と共に生きる準備ができるのです。大学生活において、あるいはこれからの人生において、本当の意味で「自立」して生きるとはどういう事でしょうか。それは、自分一人で完璧に何でもこなせるようになる事ではありません。本当の自立とは「自分は完璧ではない」ことを認め、同時に「他人の助けを借りる自分」を許せるようになることです。
自分の人生の畑を、自分の成功だけで100%埋め尽くさないでください。 隅っこを残しておいてください。 その「余白」があるからこそ、そこから新しい出会いが生まれ、誰かと支え合う力が湧いてくるのです。私は週4回長距離を走っていますが、全力疾走だけで42キロを走り抜くことはできません。どこかで力を抜き、呼吸を整える「余白」があるからこそ、遠くまで行くことができます。皆さんの人生も同じです。 20代の今は、何かを成し遂げなければと焦るかもしれません。しかし、神様はあなたが「100点満点の収穫」をあげることよりもあなたが「神様の前に、一人の自由な存在として、呼吸していること」を喜ばれます。「隅っこまで刈り取らなくていい。足りない部分があってもいい。そこには神様が備えてくださった恵みが、必ず落ちているから。」とのことです。この4月、無理に自分を完璧にしようとしないで下さい。その隙間から、本当の希望と、一生続く仲間との絆が始まります。 神様は、そんなあなたの「ありのままの歩み」を、今日も見守っておられます。
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