2026年4月28日火曜日

先日の大学礼拝説教(土樋キャンパス)

 


題名:「足もとのランプ、明日への光」 /讃美歌5011節/頌栄541

聖書:詩編 119 105節/あなたの言葉は私の足の灯/私の道の光。

4月も終わりに近づき、新しい生活の緊張が少しずつほどけてくる頃だと思います。でもその一方で、ふとした瞬間に胸の奥から「この先、自分はどうなるんだろう」そんな小さな不安が顔を出す時期でもあります。大学生活はある意味、自由で、可能性に満ちていると思います。けれどその分、未来が見えなくて不安になることもあります。友達関係、将来の進路、自分の価値、夢と現実のギャップ。夜、一人で考え込んでしまうこともあるかもしれません。少し想像してみてください。夜中に目が覚めて、喉が渇いたとします。 部屋は真っ暗です。 そのとき、皆さんはどうしますか?

手探りでスマホを探し、ライトをつける方がいるかもしれません。 あの小さな光が足もとを照らすだけで、 私たちは安心して一歩を踏み出すことができます。人生も同じです。

 


私たちはつい、10年後、20年後の「大きなゴール」を照らしてほしいと願います。

「就職はどうなるんだろう」「自分は何者になれるんだろう」「この選択で大丈夫なんだろうか」でも、人生という道には、スタジアムを照らすような強力なライトはありません。 未来全体を一気に照らしてくれる光は、ほとんどないのです。今日の聖書の言葉はそんな私達に語りかけます。「あなたの言葉は私の足の灯/私の道の光。」この詩が書かれたのは街灯も電気もない時代。人々が手にしていたのは、オイルを入れた小さなランプでした。そのランプが照らせるのは、ほんの一歩先――足もとの小さな範囲だけです。けれど、そこに大切な真理があります。神様は、「人生の全行程が見渡せるサーチライト」 を与えるのではありません。そうではなく、今日、踏み出すべき一歩を照らす小さなランプを そっと手渡してくださるのです。

大学生の皆さんが抱える不安の多くは、 「先が見えないこと」から生まれます。

でも、先が見えないのは、 皆さんが弱いからでも、間違っているからでもありません。

人生は、一歩踏み出すたびに、その先の景色が見えてくるようにできているからです。

神様は「10年後のあなた」ではなく、今日のあなたに必要な光を与えてくださいます。

現代の私達はGoogle Mapsに慣れています。目的地を入力すれば、最短ルートも到着時間も全部わかる。でも、心の問題や「生きる意味」については、 どんなアプリも答えをくれません。聖書の御言葉が照らすのは、最短ルートではなく、あなたの心そのものです。

たとえば、:友達と比べて落ち込んでいる時、御言葉は「あなたはあなたのままで尊い」という光を置きます。失敗して立ち止まっている時、御言葉は「そこが終点ではない。

もう一度立ち上がっていい」という光を置きます。

神様は、成功した未来のあなたではなく、迷いながら生きている今のあなたを愛しておられます。だから、今日踏み出すその一歩がどんなに小さくても、それは神様の光に照らされた、価値ある一歩なのです。皆さんの前には、まだ見たことのない素晴らしい景色が広がっています。 一度に、全部見ようとしなくて大丈夫です。

神様が照らしてくださる「今日という一歩」を、大切に踏み出していきましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿