祝福された「平凡」という名の聖域 ―― 31キロの呼吸と朝の匂い
仙台の空気が教えてくれる、帰還の喜び
三日ぶりに、愛用のランニングシューズの紐を締めました。今朝の仙台は曇り空。けれど、一歩踏み出した瞬間に鼻腔をくすぐった「朝の匂い」は、驚くほど美味しく感じられました。東京の熱気や千葉の潮風も刺激的でしたが、この街のしっとりと落ち着いた空気は、私の魂にとって最も馴染み深い「故郷の味」です。
走りながら、改めて思いました。仙台は、ランナーにとってこれ以上ないほど最適な聖域であると。身体に残っていたセミナーの疲れを、一歩一歩の着地によって大地へと逃がし、代わりに新しいエネルギーを吸い込む。今朝は、気づけば31キロを完走していました。
繰り返されるリズムの中に宿る、静かな光
目が覚める。起きる。祈る。掃除をする。ノアとの散歩、朝のランニング、シャワー、洗濯。そして、実習へと向かう娘を駅まで送り、再び家を整える。
そこにあるのは、どこまでも「いつもの自分」と「我が家の風景」です。 数日前まで、国境を越えた人々が集う華やかなセミナーの壇上で言葉を紡いでいた私。その劇的な時間と、今、洗濯機が回る音を聞きながら掃除機をかける時間は、同じ一人の人間の人生の中に同居しています。かつての私は、特別なイベントや劇的な変化こそが人生の輝きだと思っていたかもしれません。しかし、非日常の旅から戻り、この繰り返されるルーチンの中に身を浸したとき、胸の奥から込み上げてきたのは、深い「安心」という名の幸福でした。
「今日というパン」を分かち合う
私たちは、遠くにある奇跡を追い求めるあまり、足元に咲いている恵みを見過ごしてしまいがちです。けれど、聖書が教える「幸い」とは、しばしばこうした静かな営みの中に隠されています。
「あなたのパンを喜びをもって食べ、晴れやかな心であなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざを喜んでおられる。」(コヘレトの言葉 9章7節)
特別な偉業を成し遂げたときだけでなく、掃除をし、洗濯をし、家族を送り出すその「わざ」を、神様はすでに喜んでくださっています。 目的地を持って飛び立つ飛行機のように、私たちの人生もまた、明確な方向性を持って進んでいます。けれど、その航路の大半は、こうした淡々とした時間の積み重ねでできているのです。
「何もない日」こそが、最高の贈り物
あなたにとっての今日は、どのような一日でしょうか。もしかしたら、「特に変わったこともない、平凡な一日」だと感じて、少し退屈しているかもしれません。けれど、どうか思い出してください。朝、目覚めて祈ることができ、家族と声を掛け合い、住まう場所を整えることができる。この「当たり前」の循環こそが、実はどれほど守られ、祝福された姿であるかということを。特別な出来事がなくても、あなたは今日、十分に祝福されています。平凡な時間の中にこそ、神様の細やかな愛が、光の粒のように散りばめられているからです。
日常という海へ、思いっきり飛び込む
私は今日、この「祝福された平凡」という海の中に、思いっきり飛び込んでみようと思います。掃除の一拭き、洗濯物の一揺れ、家族との何気ない会話。その一つひとつを噛み締め、楽しみながら歩みたい。
大きなミッションも、小さな家事も、主にあっては同じ一つの「礼拝」です。
あなたも、今日という平凡な一日を、最高に贅沢に味わってください。
そこには必ず、あなたを微笑ませる小さな奇跡が待っています。
今日も、共に前進です。
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