🌧️ 雨の夜を越えて――“共に生きる”という力
■ 雨の一日が教えてくれたこと
昨日は一日中、雨でした。 妻と娘が帰ってくる時間帯は特に激しく、 自然と「送り迎えの一日」になりました。妻はいつものように、 「送ってもらえるだけで十分」と遠慮します。
それでも私は、 「今日は迎えに行くよ」と自分から声をかけました。
娘はいつものセリフです。 「パパ、可能であれば迎えに来てほしい…荷物が多くて…」 その“遠慮がちなお願い”が、
私にとってはむしろ嬉しいものでした。
迎えに行く道すがら、 授業を終えて帰る学生たちの姿が目に入りました。 彼女たちはこれから日本の医療現場を支える大切な存在。 しかし、その働き手が不足しているという現実も胸に残りました。
■ 家族が無事に帰ってくるという奇跡
「おにぎり一個しか食べてないからお腹すいた!」 娘の叫びに、「二人がいない間に、
1時間以上かけて仕込んでおいたポークシチュー(我が家はいつも豚肉で作るシチュー)があるから大丈夫だ」と、心の中で答えました。
こうして、 それぞれが一日の仕事や学びを終えて帰ってくる。 その当たり前のような出来事が、 実はどれほど大きな恵みなのか。
雨の夜、 私はそのことを深く思わされました。 そして、さすがに私も疲れました。
■ 夜の休息と、静かな再スタート
18時ごろ、寝床に入り体を休めました。 20時に一度目が覚め、 「このまま眠らないと明日が持たない」と思いながら、
ベッドから出ずに二度寝。
完全に目が覚めたのは1時11分。
そこから新しい一日が始まりました。
部屋の掃除、 雨が止んだのでノアとの散歩、 ゴミ出し、 祈り、 わかめスープを飲みながら仕事。静かな深夜の時間が、 心をゆっくり整えてくれました。そしてふと、
「この雨で山の火事は少し収まっただろうか」 そんな思いが胸をよぎりました。
■ “共に生きる”ということ
昨日の送り迎え、 家族の会話、 深夜の静けさ、 ノアとの散歩。そのすべてが、 「共に生きる」という言葉に結びついていきます。誰かと共に生きることは、
時に疲れ、 時に喜び、 時に支え、 時に支えられること。それは決して派手ではないけれど、 人生を温め続ける静かな力です。
■ 結び
今日もまた、新しい一日が始まりました。 雨の夜を越えて、 家族と共に、 ノアと共に、 そして主の導きの中で。
今日も、共に前進です。




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