満たされない渇きの果てに、私たちが立ち戻る場所
今日、あなたの心はどんな色をしているでしょうか。
朝、お気に入りの上着を選び、お気に入りの飲み物を手に取り、今日食べるもののことを考える。それは私たちの、ありふれた、そして愛おしい日常の一コマです。
けれど、ふと立ち止まったとき、胸の奥に言葉にならない「渇き」や「割り切れなさ」を感じることはないでしょうか。忙しく過ぎ去る日々のなかで、私たちが多くの時間を費やして考えていること。それは、何を食べ、何を飲み、何を着るかという日々の営みであり、時には自分の欲求を満たすための立ち回りや、小さな駆け引きだったりします。
「大義のためにどう生きるか」「自分の命をどのように捧げるか」——そんな壮大な問いを抱いて生きている人は、けっして多くはありません。
もちろん、家族のため、愛する人のために何かをしたいと願い、日々を懸命に生きている方はたくさんいます。それは本当に尊いことです。しかし、その思いさえも、時に日々の現実に追われ、限定的なものになってしまうことがあります。
努力が報われない、不条理な世界のなかで
私たちは誰もが「幸せ」を願って生きています。 それなのに、なぜか思うように幸せを実感できない現実があります。
- どれほど必死に努力を重ねても、正当に報われない焦燥感。
- 世の中には「平和」「愛」「信頼」「助け合い」という美しい言葉があふれているのに、ニュースを見れば、あるいは身近な人間関係を見渡せば、それが実現されているとは言い難い現実。
綺麗ごとだけでは片付かない、この世界の不条理さ。 「こんなはずではなかったのに」という思いを抱えながら、私たちは一体何を求め、どこへ向かって歩んでいけばいいのでしょうか。
すべてを見つめる「まなざし」と、本当の満たし
聖書の中に、まさに今の私たちと同じように、日々の食べ物や着るもののことで頭をいっぱいにし、生きる不安に押しつぶされそうになっていた人々へ向けられた、静かな言葉があります。「何を食べようか、何を飲まようか、あるいは何を着ようかと言って思い煩うな。……あなたがたの天の父は、これらのものがすべてあなたがたに必要なものであることを知っておられる。」
神さまは、私たちが日々の生活に追われ、小さく利己的になってしまう弱さも、不条理な世界で傷つき、疲れ果てている姿も、すべてをご存じです。あなたのその「満たされなさ」を、冷たく突き放すようなことはなさいません。
美しい言葉が空虚に響く世界だからこそ、神さまは私たちに、目に見える状況に振り回されない「確かな土台」を与えようとしておられます。
不条理な現実に無理に意味を見つけようとしなくて大丈夫です。ただ、「私のこの渇きも、この痛みも、すべて知ってくれている存在がいる」という事実に、心をゆだねてみてください。私たちが向かうべき場所は、完璧で非の打ち所がない理想郷ではありません。
弱さと不条理を抱えたままの私たちが、そのままの姿で愛され、受け入れられているという「神のまなざし」の内側です。そこに立ち戻るとき、私たちの呼吸は深く静かなものへと変わっていきます。
今日、もう一歩を踏み出すために
幸せが見えなくなるときは、どうか自分を責めず、歩みを少しだけ緩めてみてください。 あなたが今日、家族のために差し出した小さな手のひら、誰かを思ってつぶやいた優しい言葉。それだけで、あなたは十分に今を生き、命を輝かせています。
不条理な世界はすぐには変わらないかもしれません。 けれど、あなたの手を引く神の愛は、今、この瞬間も確かにここにあります。心を軽くして、ゆっくりと息を吸い込んで。
新しく備えられた今日という日を、不器用でも、手を携えながら歩いていきましょう。
雨がようやく止みました。 二日間降り続いた雨のおかげで、近くの川は本来の姿を取り戻し、そこに生きる命たちが潤いを得たことでしょう。
私も二日間の休息を終え、再び走り出すときが来ました。 明日走れば、今週の100キロランを達成できそうです。 それもまた、小さな楽しみとして心を支えてくれています。
今日も、共に前進です。
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