デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年6月14日日曜日

朝ラン21キロ完走

 


命の光と手放した完璧主義——自分への「ゆとり」が、変わらぬ愛へ続く道

鈍い重さと、生きるための光

午前4時半。ノアとの穏やかな夜明けの散歩を終え、休むことなくランニングへと走り出しました。今日も、体には鉛のような鈍い重さがまとわりついています。

それでも、足を前へと運び続ける。見上げれば、眩しいほどの太陽の光が、目覚めゆく世界を隅々まで照らし出していました。それはただの自然現象ではなく、私たちが今日を力強く「生きるため」に、天から注がれる命の光そのものでした。

 


肌を撫でる風にはまだ涼しさが残り、強い暑さを感じる時期ではありません。しかし、この心地よさがやがて、ランナーの体力を容赦なく奪い去る「厳しい熱」へと一気に姿を変える。その抗えない季節の気配が、すぐ目の前まで迫っているのを肌で感じ取った朝でした。

 


「欲張り」を禁じる賢明な選択

これからの過酷な夏場に向けて、ランニングとの向き合い方を変えなければなりません。 必要なのは、気合で乗り切ることではなく、時間、距離、そして走る回数をあえて「短縮する」ことです。天候という抗えない大きな力の前では、自分の限界を素直に認め、賢く判断し、それを実行に移すこと。それこそが、結果として長く走り続けるための最大の秘訣なのです。

 


「もっと遠くへ、もっと速く」という、己の欲張りを禁じること。 これは単なるランニングの戦略にとどまらず、私たちの人生そのものに深く通じる真理です。

 

自分を赦すことが、他者を愛すること

これまで私は、絶えず自分自身に対して厳しく接してきました。限界まで追い込み、休むことを良しとしないストイックな歩みこそが、正しい道だと信じてきたからです。

しかし今朝、眩しい光の中を走りながら一つの決断をしました。 懸命に頑張って歩み続けている自分自身を認め、時には「ご褒美」を与え、心からほめてあげようと。常に張り詰めた糸のように生きるのではなく、自分の中に少しの「ゆとり」を持つことにしたのです。なぜなら、自分を追い詰める厳しさは、気づかないうちに周囲への厳しさへと変わってしまうことがあるからです。

  • 自分自身の弱さや限界を許し、優しく労わること
  • 完璧主義を手放し、心に「余白」を持つこと

 


実はこの「自分へのゆとり」こそが、家族を長く、そしていつまでも変わることなく深く愛し、温かく寄り添い続けるための、最も大切な秘訣なのです。

 


聖書は、神が私たちに「安息」を与えられたと語ります。それは、私たちが無条件に愛され、休むことを許された存在だからです。自らに厳しすぎるその手を少しだけ緩め、今日という日にご褒美を与えながら歩いてみませんか。

 


今日は主の日の礼拝。 新しい一週間の始まりに心を整え、礼拝の中で新たな力を受け取ることは、私たちにとって何より大切な備えです。

ひとたびこの世に一歩踏み出せば、そこは戦場のような厳しい世界。 先の見えない時代を、私たちは確かに生きています。 だからこそ、その現実に立ち向かい、賢く歩むための知恵と力を、真の神様からいただくこと—— これこそ、弱い人間が大切にすべき心構えであり、姿勢だと私は思うのです。

牧師としてではなく、一人の人間として、私はその真実を60年間の歩みの中で学んできました。 神に頼り、神に導かれ、神に支えられて生きることの確かさを。

今日も、共に前進です。

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