デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年6月30日火曜日

6月朝ラン合計410キロ完走

 https://www.relive.com/view/vQvxk4jPL9q

痛みを抱える夜明けの街で、見えない希望を信じて走る

六月最後の朝、重い身体を押して

六月最後の一日。午前四時、私はランニングのスタートを切りました。

昨夜は二十三時頃に娘を迎えに行き、寝たのはその後。わずか四時間の睡眠で、身体ははっきりと悲鳴を上げていました。「今日は休もうか」。そんな思いが頭をよぎりましたが、七月の月報「EL CAMINO」の『夜明けのランナー』欄に、「今日の二十五キロで六月は四百十キロでした」とすでに原稿を書き終えていたことを思い出したのです。

自ら記した言葉に背中を押されるように、私はランニングの支度をして薄暗い街へと走り出しました。

街の風景と、それぞれの「痛み」

今日のルートは、仙台市内を駆け抜ける二十五キロの道のりです。少しずつ元気を取り戻せていることに感謝し、仙台医療センターの前では静かに祈りを捧げながら通り過ぎました。そこから卸町、荒井駅、東高校前を抜け、広瀬橋を渡って帰路につきました。

走りながら、ふと街の空気に気づきました。ワールドカップのブラジル戦の結果は見ずに出たのですが、あちこちで群れになって歩く若者たちの肩を落とした姿から、敗戦の事実が痛いほど伝わってきたのです。彼らの心の中にある落胆。しかし、日本は着実に強くなっています。大切なのは、今の悔しさを糧にし、四年後の次なる舞台へ向けて期待と共に選手を育てていくことです。

そして私自身もまた、一つの痛みを抱えて走っていました。疲れのせいもあるのか、なかなか歯の痛みが消えないのです。数年に一度しか行かない歯医者に、今回はまとまって通うことになりそうです。明日まで様子を見て、もう一度行くことにしましたが、「どうか行かずに済むように」と素朴な祈りを心の中で繰り返していました。今日と明日は、身体のためにも本当の休息を取ろうと決めています。

人知を超えた守りと、信仰に生きる意味

スポーツの敗北による心の痛み、身体が発する悲鳴、そして病院で病と闘う人々の苦しみ。私たちが生きる世界には、さまざまな形の「痛み」が存在します。

時には、原因が分からないまま入院し、理由も判明しないまま回復していくという、人間の理解が及ばないケースに直面することもあります。しかし、そこには一つの確かな真理が隠されています。 それは、主が愛するご自分の民の小さな祈りに耳を傾け、必ず助け、守ってくださるということです。

  • 人間の弱さ: 限界のある身体、思い通りにならない現実

  • 神の真実: 理解を超えた癒やしと、確かな導き

私たちの人生は、自分の力だけでコントロールできるものではありません。だからこそ、私たちキリスト者は「信仰」に生きるのです。目に見える結果や、すぐに消えない痛みの中にあっても、見えない主の御手がいつも私たちを支え、回復へと導いてくださることを信じ抜くこと。それこそが、暗闇の中で希望の灯りをともし続ける力となります。

今日という日を、精一杯に

疲労困憊の身体で駆け抜けた二十五キロ。悲鳴を上げる身体も、消えない歯の痛みも、若者たちの悔しそうな背中も、すべてが「今を生きている」という確かな証です。

痛みを抱えながらも、与えられた命の温もりに深く感謝し、今日という一日を精一杯に生きていく。本当の休息の中で主の癒やしを待ち望みながら、私たちはまた新たな一歩を踏み出します。

昨夜22時半ごろ散歩から帰って来たごろの様子です。

今日も、共に前進です。

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