痛みの言葉と、忘れられた奇跡 ―― 「命」の源に立ち返る朝
脈打つ心臓と、六月の風
湿り気を帯びた六月の風が頬を撫でる中、いつものように夜明け前の薄暗い道を走り出しました。 深く息を吸い込み、確かな感触をもって大地を蹴る。静まり返った街の中で、ドクンドクンと脈打つ自分の心臓の音だけが耳に届きます。流れる汗の温もりや、肺を満たす空気の冷たさ。走るという行為は、自分の内側にある「命の熱量」を確かめる、とても静かで神聖な作業でもあります。
なぜ、その言葉は胸を重くするのか
しかし、日常に戻り、テレビやスマートフォンに目を落とすと、目に飛び込んでくるのは心が痛むような言葉の数々です。 戦争、津波、地震、台風、大雨、浸水……。 この世界には数え切れないほどの言葉が存在し、時代と共にまた新しい言葉が生まれ続けています。なぜ、これらの言葉を聞くと、私たちの心はこれほどまでに重く、ネガティブな感情に覆われてしまうのでしょうか。それは、これらの言葉のすべてが「人の命」と深く、そして直接的に結びついているからです。私たちは本能的に、尊い命が脅かされ、失われていくことに強い痛みと悲しみを感じるようにできているのです。社会のあらゆる問題の中心には、常に「命」があります。
忘れられた「与え主」の存在
すべては命が中心であるはずなのに、情報が濁流のように押し寄せる現代において、私たちは多くの命の存在を、そしてその本質を忘れてしまっています。
私たちは今一度、立ち止まって問うべきです。 「その尊い命は、一体誰から与えられたものなのか」と。私たちが今ここで呼吸をし、歩き、誰かを愛し、あるいは悲しむことができるこの命は、決して自分自身の力で獲得したものではありません。命とは、天地を創られた方がご自身の息を吹き込み、私たち一人ひとりに手渡してくださった「最高の贈り物」です。
悲しい言葉ばかりが溢れるこの世の中で私たちが思い出すべき真理は、自分の命も、見知らぬ誰かの命も、等しく神様から与えられた「極めて良い」奇跡の光であるということです。命の源(造り主)に目を向けるとき、私たちは命を単なる数字や現象としてではなく、愛されるべき尊厳として取り戻すことができます。
胸の奥の温かなリズムと共に
今日、もし悲しいニュースの言葉に心が沈みそうになったなら、どうかご自身の胸にそっと手を当ててみてください。
- 深く息を吸い込み、新しい空気を味わう
- 掌から伝わる、トクトクという心臓の鼓動を感じる
- 今日、生かされているという奇跡に「ありがとう」と呟く
あなたのその胸で鳴っている温かなリズムこそが、あなたが造り主から深く愛され、今日も「生かされている」という何よりの証拠です。 与えられたこの尊い命の光に深く感謝しながら、今日も与えられた場所で、精一杯に生きていきましょう。
今日も、前進です。




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