夜明けの三日月に問う——世界を変える「小さな善」の連鎖
涼やかな風と、目覚めの足音
午前3時。いつものようにノアの様子を見に行くと、昨日と同じように穏やかな寝息を立てていました。丸くなって眠るその無防備な姿を見ると、もう少しだけ夢のなかにいさせてあげようと思わずにはいられません。
足音を忍ばせて静かに階段を下り、そっとドアを開けて自分の部屋へ戻ろうとしたその時——背後から、ごそごそと起き上がる気配がしました。ノアはすぐに階段を降りてきて、私のそばへやって来ます。その温かな気配を連れて、私たちは夜明け前の散歩へと歩みを進めました。
時計の針はまだ3時だというのに、空はすでに夜の帳を下ろし、静かな夜明けを始めようとしています。見上げれば、澄んだ空に細い三日月が浮かび、そのすぐ隣で一つの星が凛と瞬いていました。頬を撫でる涼しい風が、新しい一日の始まりを優しく告げています。
静寂を破る現実と、届かぬ願い
この神聖な静けさを破るように、すでに街を走り、働いている人々がいます。新聞配達の方々です。彼らが今日、それぞれのポストへ届ける束には、一体どんな知らせが刻まれているのでしょうか。「良い知らせであればいいけれど……」 心のどこかでそう願いながらも、大きな期待を持てずにいる自分がいます。なぜなら、現代のメディアは悲しい事件や痛ましい事故には何日も長い時間を割く一方で、心温まる善き出来事はほんのわずかしか取り上げないからです。
ふと、「模倣犯」という言葉が頭をよぎりました。悪意や犯罪が連鎖し、真似されてしまう不条理な現実。それならばなぜ、「善いことの模範者」が溢れ、真似される世界にはならないのだろうか。それは、ただの叶わぬ夢物語に過ぎないのでしょうか。
アイロニーを越えて、真理へ
この矛盾と不条理に満ちた世界において、「わたしに倣いなさい」と、究極の善の模範を示し、命じられた方がいます。イエス・キリストです。
キリスト者とは本来、その名の通り「キリストに倣って歩む人」を意味します。しかし現実はどうでしょうか。真にキリストに倣って生きる者は、決して多くはありません。この深いアイロニカルな現実こそが、人間の弱さです。
世界が良くなるための確かな「答え」はすでに示されているのに、圧倒的多数の人々がその答えを無視し、自己流のやり方で生きることこそが正しいと信じて疑わない。だからこそ、この世はそう簡単には変わらないのです。
足元から始まる光の連鎖
世の中全体を変えることは、今の私には不可能なのかもしれません。しかし、世界は変わらなくとも、せめて自分自身や、愛する家族だけは変わっていくことを願い、努力し続けることはできるはずです。絶望せず、自らの足元に小さな光を灯し続けること。それこそが、やがて頑ななこの世界が変わっていくための、微かな糸口になるのだと信じています。今日も、与えられた命を懸命に生きていく。決して大それたことでなくていいのです。
- 少しでも、誰かに親切にすること
- 柔らかな笑顔で向き合うこと
- 互いに道を譲り合うこと
- すべてのことに感謝して生きること
夜明けの三日月と一つ星のように、ささやかでも確かな善の光を、今日という一日に刻んでいきたいと願います。それにしてもランニングを休んで今日でもう四日目となります。
早く走りたい!!!
今日も、共に前進です。
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