衰えゆく器に宿る恵み ── 弱さが結ぶ、柔らかな絆
午前3時半、静寂の中の歩み
午前3時半。まだ夜の帳が深く降りた街に、冷涼な空気が満ちていました。 今日は資源ごみの回収日。両手に重みを提げながら、愛犬ノアと共に家を出ました。普段ならよく聞こえる隣の新聞配達屋さんの気配もなく、今日はお休みなのでしょう。私たちの足音だけが、静かなアスファルトに響いていました。
何気ない日常の反復。しかし、その静寂は不意に破られることになります。
リード越しに伝わる生命の脈動
散歩も終わりに近づき、そろそろ家に戻ろうとしていたその時でした。 突然、ノアがぐっと強い力で私を引っ張り、そのまま走り出したのです。
リードを握る手が持っていかれそうになるほどの、あの力強い躍動。 ノアの視線の先には、近くの闇の中でじっと身を潜めている猫の気配がありました。
高齢のはずのノアですが、今日は驚くほど元気に動きました。 彼の「嗅覚」は、昔と少しも変わっていなかったのです。 微かな匂いを鋭く捉え、周囲を油断なく見渡すその姿。
老いてゆく部分がある一方で、 一つの機能が衰えを知らずに働き続け、 全身を根底から支えている——
その生命のしなやかな強さに、私は深い感銘を覚えました。
私たちの「弱さ」に隠された真理
そのノアの姿を前にしたとき、ふと、翻って私たち人間の在り方に思いが至りました。
- 人間は、なんと弱い存在なのだろうか
- ノアのような、際立って他の衰えを補うほどの機能を持たない
- すべての機能が、いわば“仲良く”揃って衰えていく
私たちは、自力だけで最期までまともな生活を送ることはできません。必ずどこかで誰かの手を借り、委ねなければ生きてはいけない存在として造られています。
しかし、この「弱さ」は決して欠陥ではないのだと、私は思うのです。
聖書にこのような言葉があります。
「ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。もし彼らが倒れるならば、そのひとりがその友を起きあがらせる。」(伝道の書 4:9-10)
人は、一人では生きられません。すべてが均等に衰えてゆく脆い器だからこそ、私たちは互いに手を差し伸べ合い、欠けを補い合うことができます。人間の弱さは、他者との間に「愛」と「支え合い」という絆を生み出すための、神様からの意図的なデザインなのかもしれません。
日常という名の祭壇で
今日はランニングはお休みです。 その代わり、朝食のための料理をゆっくりと作ることにしました。食材を刻む音、火を入れる温もり。料理を作ることもまた、誰かを──そして自分自身をも──生かし、支えるための小さな、しかし確かな行為です。
私たちは自力では立てない、弱い存在です。 だからこそ、今日も誰かの力を借り、誰かの力となりながら、この世界を歩いていくのです。
おお、まもなくキックオフですね! 日本 vs オランダ、2–0で勝つイメージ、しっかり描いておきます。その勝利が、日本中の人たちに元気な一日をもたらしますように。
今日も、共に前進です。
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