デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年6月25日木曜日

マックのランチ

 


ドライブスルーの温かな紙袋と、「一日一生」を走り抜く覚悟

昨日は、娘の学校が1限と2限だけで終わる日でした。 朝、駅まで車で送りながら「じゃあ、お昼はマックでも買って家で食べようか」と言葉を交わしました。お昼ごろに妻を八木山まで送り届け、そのまま駅へ向かうと、ちょうど到着した娘を拾うことができました。近くのマックのドライブスルーに寄り、温かな紙袋を抱えて家で昼食を共にする。

妻のためにはアップルパイを単品で購入しました。こうした親子でのささやかな場面は、年に23回あるかないかの特別な時間です。

 

娘の好みに合わせる、残りわずかな季節

テーブルを囲みながら、ふと心の中で思いました。「やはり自分は、マックはもういいかな」と。 もともとファストフードは好きではなく、自分の意志で買うことなどほとんどありませんでした。この数年、マックを口にしてきたのは間違いなく娘の影響です。彼女が学校を卒業し、やがて巣立っていけば、私が自らの足でこの店に向かうことはもうないでしょう。自分の好みとは違うけれど、娘が喜ぶものを共に味わう時間。 それもまた、親に許された愛の表現のひとつの形です。やがて過ぎ去っていくこの愛おしい季節を思いながら、私は静かに「これも良し」と受け入れていました。

 

歯を抜き、限りある命を覚える朝

そして今日、私は歯医者に向かいます。 私が歯医者に行く理由は、いつも決まっています。「抜歯」のためです。それ以外で通うことはほぼありませんし、そもそも事故でもない限り、病院に行くこと自体がありません。それは決して、自分の健康に絶対の自信があるからではありません。 むしろ逆です。「人はいつ、何が起こるかわからない」という、人間の命のどうしようもない脆さを知っているからです。歯が一本抜け落ちていくように、私たちの肉体という天幕は、少しずつ確実に古びていきます。だからこそ、自分の命の期限を思い煩うのではなく、ただ「与えられた一日」を人生の最後の日として受け止め、そこに向き合うことしかできないのです。

 


一日一生──すべてを注ぎ尽くして生きる

日本の偉大な思想家であり信仰者であった内村鑑三は、「一日一生」という言葉を残しました。 一つの日が、ひとつの生涯である。まさにその通りだと、深く頷く自分がいます。明日という日は、誰にも約束されていません。だからこそ、自分に許された「今日」という一つの小さな生涯を、一切の悔いなく生き切るのです。

  • 精一杯に、目の前の人を愛する。
  • 精一杯に、家族のために料理の腕を振るう。
  • 精一杯に、教会と人々に仕える。
  • 精一杯に、夜明けの道を走る。
  • 精一杯に働き、精一杯に歩み続ける。

力を温存して生きる必要などありません。「休むのは、死んだ時だけでいい」のです。 命のすべてを燃やし尽くし、天に召されたその時にこそ、私たちは永遠の安息(安らぎ)という最高の休息を与えられるからです。そう信じて今日を完全燃焼することもまた、「これも良い」と心から思えるのです。

自分の好みを手放して笑い合った昨日の食卓も、痛みを伴う今日の抜歯も、すべては「今日という生涯」に与えられた尊い出来事です。

 


また、昨日は、いつもの床屋さんで髪を切り、ついでにカラーもしてきました。 2か月に一度の「外見メンテナンス祭り」です。椅子に座った瞬間、視界の端にキラリと光るカードが。 60歳以上シニア割引・200円引き」

……なるほど。 店側はやさしく背中を押してくるわけです。

しかし私は、心に決めているのです。 シニア割は70歳になってから堂々と使う と。

まだ60代で使うのは、なんだかフライング気味の老成のようで、 自分の中の小さなプライドが「まだ早い」と囁きます。というわけで今回も、通常料金をきっちりお支払い。 財布は少し軽くなりましたが、心はなぜか晴れやか。

これもまた、良し。 人生には、こういう誰にも理解されなくても自分だけは満足できるこだわりがあっていいのだと思います。

今日も、共に前進です。

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