予定外の朝と、続く階段 ── 痛みが教えてくれる確かな希望
◆ 午前5時の大年寺山公園と、予期せぬ痛み
午前4時過ぎ。ノアの散歩の後、 朝の澄んだ空気を吸い込みながら、大年寺山公園への散歩に出かけました。歩くコースは、大体いつも同じです。
公園の多くの階段を一歩一歩踏みしめるように上り、そこから歩き続け、広瀬橋を渡って帰宅する道のり。規則正しい呼吸と足音が、一日の始まりを静かに告げてくれます。
しかし今朝は、いつもと違う感覚がはっきりとありました。 昨日から、先日治療を受けたばかりの歯がズキズキと痛み出していたのです。物を噛むことすらためらわれるほどの強い痛み。朝の静けさの中で、その痛みはより一層、輪郭をくっきりとさせて迫ってきました。急遽、朝一番で歯医者へ駆け込むことになりました。
◆ 思い通りにならない「月曜日」の現実
今日は月曜日です。 日曜日までの一週間を走り抜き、多くの場合、牧師にとって月曜日は「休みの日」として設定しています。心と体を休ませ、また次の一歩を踏み出すための大切な空白の時間です。
- ゆっくりと羽を伸ばすはずだった休日
- 自分のために使うはずだった時間
- しかし、現実は予期せぬ痛みによって書き換えられる
「思い通りにいかない」。それが現実というものです。 休みたい日に休めず、予定していた計画が崩れ去っていく。私たちはそのたびに、苛立ちを覚えたり、落胆したりしそうになります。しかし、私はその痛みを抱えながら、ふと心が凪いでいくのを感じました。
「それも受け入れて、与えられた今日の人生を生きよう」と。
◆ ゴールを知る者の、揺るがない足取り
計画通りにならないこと。それこそが、この世の人生の真実の姿です。 私たちの思い描く「完璧なスケジュール」など、広大な人生の海の中では、ほんの小さな波に過ぎません。
聖書には、このような言葉があります。 「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その歩みを導くのは主である。」(箴言 16:9)
計画が崩れた時、私たちは道に迷ったように感じます。 しかし、一番大切なことは「今日一日の予定がどうなるか」ではなく、「最終的な人生のゴールがどこにあるのか」を知っていることです。最終的なゴールが分かっているからこそ、私たちは慌てません。
予定外の歯医者の待合室にいても、痛みに顔をしかめる瞬間があっても、どんな場合でも、どんな時にも、キリストが示してくださった道を歩き続けることができるのです。
◆ 揺るがない真の希望へ
平坦で無傷な道だけが、正解の道ではありません。 時には予期せぬ痛みを抱え、予定外の階段を上らなければならない日もあります。しかし、その「思い通りにならない今日」を静かに受け入れ、委ねて生きるその足取りの中にこそ、決して奪われることのない「真の希望」があるのです。痛む歯を抱えながら、それでも与えられた命の時間を慈しむ。
思い通りにならない今日を、精一杯に生き抜く。歯医者の後は仙台での買い物の予定です。
今日も料理を作ります。そして今日も、共に前進です。
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