デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月8日水曜日

朝ラン22キロ完走

 


澄み渡る朝の光と、注ぎ尽くした命を潤す恵みの食卓

今日はもともと、ランニングを休む予定でいた朝でした。 しかし午前4時ごろ、ノアと共に外へ散歩に出ると、空には久々に晴れ晴れとした美しい景色が広がっていました。その澄み切った空気に心を動かされ、この素晴らしい朝を全身で味わうために、私は走ることを決めました。

 


22キロの軌跡と、失われる水分

走り出した足は、本当に久しぶりとなる起伏に富んだコースへと向かいました。 三桜高校の坂道を力強く上り、野草園、八木山動物公園を抜け、仙台城跡へ。さらに東北大、尚絅学院中高、西公園を通り抜け、最後は愛宕大橋を渡って帰宅する道のり。

朝の清々しい空気の中を駆け抜けた、22キロの朝ランでした。

 


この時期の朝のロングランでは、走り終える頃には体重が約3キロほど減っていることを経験として知っています。それだけ大量の汗を流し、体内の水分を外へと注ぎ出しているのです。 これこそがロングランの現実であり、だからこそ、走り終えた後の丁寧な「身体のケアー」が絶対に欠かせません。失われたものをしっかりと補い、労わらなければ、体は悲鳴を上げてしまうからです。

 


注ぎ尽くす命と、それぞれの戦い

汗を流し、自らのエネルギーを消費するのは、ランニングだけではありません。 私たちが「生きる」こと、そして「働く」こともまた、自らの時間や体力、そして心をすり減らし、外へと注ぎ尽くしていく行為です。

  • 今日も、厳しい環境の中で実習へと向かう娘。
  • 八木山でのアルバイトの働きへと出かけていく妻。

彼女たちもまた、それぞれの持ち場で一生懸命に汗を流し、エネルギーを注ぎ尽くして今日を生きています。走り終えたランナーにケアーが必要なように、社会で戦い、疲れ果てて帰ってくる家族の心と体にも、失われたものを補う温かい「ケアー」が必要なのです。

 


魂を回復させる、備えられた食卓

聖書には、疲れ果てた私たちの魂を神様がどのように扱われるかを描いた、美しい詩があります。「主は私を青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、私の魂を生き返らせてくださる。」(詩編 23:2-3

神様は、この世で力を尽くして傷つき、渇きを覚えた私たちのために、憩いの水と豊かな食卓を備え、魂を回復(ケアー)してくださる方です。

 


今日、それぞれの場所で懸命に働き、命を注ぎ尽くして帰ってくる二人のために。私は今日、父として、夫として、最高に美味しい夕食を用意することに決めました。(いつものことですが・・) それは単なる食事の準備ではありません。彼女たちの労をねぎらい、空っぽになった心と体を満たし、「また明日も走れる」と背中を押すための、私なりの祈りであり、愛のケアーなのです。それぞれが生きる場所で力を尽くし、夜には温かい食卓に集って命を潤す。 その尊い営みがある限り、私たちは何度でも立ち上がることができます。

今日も、共に前進です。

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