朝の冷たさが頬を刺す中、26キロの道のりを走り抜けた。休日の朝、夜明けと共に道路には徐々にランナーたちが増えていく。凛とした空気の中で、ただ体の声に耳を傾けながら一歩一歩進む。寒さはすっかり気にならなくなり、心も体も自然のリズムに溶け込んでいる。走るという行為は、日々の雑踏から私を解き放ち、ただ「今」を意識させてくれる貴重な時間だ。
今日も新宮沢橋の工事が行われていた。この橋が完成するのは2026年の3月31日と聞く。あと1年以上も先だが、それを考えると途方もない気がする一方、橋の完成を見届け、自分がどうその瞬間を迎えるか思いを馳せてみた。新しい橋の上を走る自分を想像してみた。
ここ1か月ほど、朝ランのコースは太白山から広瀬川と名取川沿いへと変わった。このコースはより安全で整備されており、気持ちよく走るには最適だ。太白山のコースは元日の恒例として残すことにした。それも悪くない。新しい道には新しい風が吹き、違った景色が目を楽しませてくれる。日々変わりゆく環境を受け入れ、柔軟に対応していくことが求められるのは、人間としても同じことだ。
川沿いを黙々と走る中、思わぬ光景に出くわした。車に轢かれたタヌキの死骸を囲む一団──それはカラスたちだった。命を失ったタヌキは少し物悲しげであったが、それを食べるカラスたちの姿に、彼らの「生きることへの必死さ」を感じた。とはいえ、カラスは何でも食べる鳥である。彼らに「必死さ」という概念があるのかはわからない。しかし、その姿は私に「生きる」ということについて考えさせた。
自然界を見ていると、そこには「気にするべきこと」と「気にしないほうが良いこと」のバランスがあるように思える。カラスたちはおそらく、今目の前にある食べ物をただ淡々と食べているだけ。それを横目に、私は枝でタヌキを道端に移動させ、また走り続けた。人間とは、やはりいろいろなことを気にせざるを得ない生き物なのだ。でも、その「気にする」ことも行き過ぎるとバランスを失う。
人との関わりの中でもバランスは重要だ。深入りしすぎると息が詰まるし、無視しすぎると関係が希薄になる。適度な距離感を保ちながら、お互いを尊重すること──その微妙な間合いを見極めることで、良好な人間関係を築くことができるのかもしれない。自然が教えてくれた「マイペースで生きる」ということに学びながら、社会の中ではやはりバランスを意識せざるを得ない。どちらも大切であり、どちらも欠かせない。
走ることで得られる静かな時間は、こうした思索の場でもある。今日も、走り終えた爽快感とともに新しい一日のスタートを迎えた。そして最後に心の中で呟いた。「今日も楽しく、笑顔で、愛し合いながら精一杯に生きよう」と。
走った道のりが、心の道筋も広げてくれる。どんな環境でも、どんな出来事でも、気持ちひとつで楽しむことができる。そのことに気づかせてくれた今日に感謝しながら、また明日へ。
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