デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

https://heyzine.com/flip-book/40adf6eb52.html https://heyzine.com/flip-book/e25ac741f2.html https://heyzine.com/flip-book/ce3de770c6.html

2026年7月7日火曜日

死亡率2:出生率1になった国で生きる意味

 

眠そうな顔で散歩のために降りてきました。まだ2時半です・・・・

年寄りになった私の相棒です。


黎明の30キロ──死の影を越える真の命と、愛する者のための食卓

午前2時。 世界がまだ深い眠りの底に沈んでいる時間に目を覚まし、静かにルーティンを終える。 そして午前3時半、夜の闇がまだ街を包む中、私は一歩を踏み出しました。 今日の目的地は、久しぶりの宮城大学太白キャンパス。 ただ前へ、ただ前へ。 30キロの道のりを走りながら、夜の黒が少しずつ薄れ、黎明の光が街を染めていく瞬間を見つめていました。

 


🌒 街の風景が語る「生と死」の現在地

走っていると、街が語りかけてきます。 最近、特によく目に入るのは新しく建てられた葬儀会館。家族葬の流行に合わせて施設は増え、 葬儀保険という仕組みも当たり前になり、 「死」は巨大な産業として整えられていく。

中には「感謝祭」と書かれた看板まで掲げる葬儀会館もありました。 企業が生き残るために必死で工夫を凝らす姿は、 どこか切なく、どこか現実的で、 この時代の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。今は出生数より死亡数が倍になった日本。 産婦人科が減り、葬儀屋が増える。 これが、私たちが生きている社会の偽りなき姿です。

 


✝️ 絶望の壁を扉に変えた方

「死」は本来、すべての終わりであり、 人間にとって最も深い絶望を意味する。

しかし聖書は、そこで終わらない。 死を絶望の壁としてではなく、新しい命への扉として語ります。その扉を開いた方── それがイエス・キリストです。

十字架の死と復活によって、 死はもはや行き止まりではなくなりました。 キリストを信じる者には、 「死んでも生きる」という揺るぎない希望が与えられています。だから

私は、 死を恐れずに今日を生きることができる。 真の命が内側に灯っているからです。

 


👣 「ださい」姿に宿る尊さ──日常を生きる力

永遠の命の希望を胸に抱いているからこそ、 私は今日という一日を全力で生きることができるのです。今朝も、娘を駅まで送りました。 重い荷物を抱え、車を降りる直前に彼女は笑いながら言いました。「この格好、ださい!」今日から在宅実習が始まります。今日は八幡宮の近くでの実習だそうです。(八幡宮はわたしのランニングコースの一つでよく走ったりする場所です。)しかし父親の目には、 自分のためにだけではなく、人のために学び、働き、前へ進もうとするその姿が どれほど尊く、どれほど美しく映ったことか。

 


妻も今日は仙台で仕事。 彼女を職場に送り届けたあと、 私はドン・キホーテとロピアで両手いっぱいの買い物をする予定です。人のために歩む娘。 今日の務めを果たすために働く妻。 それぞれの場所で懸命に生きる二人のために、 私は最高の「トンテキ」を作る。

美味しい肉を焼き、 温かい食卓を整え、 彼女たちの帰りを待つ。このささやかな営みこそが、 愛であり、命の輝きであり、 永遠の命を知る者が生きる今日の美しさであるのです。

 


🌅 死を越える命を願いながら、今日の命を養う

いつか娘も、妻も、 そしてこのブログを読んでくださる誰もが、 肉体の終わりを越えた「真の命」を所有する人になってほしい。

その願いを胸に、 私は今日も目の前の命を養う。 愛する者のために食卓を整え、 与えられた一日を丁寧に生きる。

今日も、共に前進です。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿