眠そうな顔で散歩のために降りてきました。まだ2時半です・・・・
午前2時。 世界がまだ深い眠りの底に沈んでいる時間に目を覚まし、静かにルーティンを終える。
そして午前3時半、夜の闇がまだ街を包む中、私は一歩を踏み出しました。 今日の目的地は、久しぶりの宮城大学太白キャンパス。
ただ前へ、ただ前へ。 30キロの道のりを走りながら、夜の黒が少しずつ薄れ、黎明の光が街を染めていく瞬間を見つめていました。
🌒 街の風景が語る「生と死」の現在地
走っていると、街が語りかけてきます。 最近、特によく目に入るのは新しく建てられた葬儀会館。家族葬の流行に合わせて施設は増え、 葬儀保険という仕組みも当たり前になり、
「死」は巨大な産業として整えられていく。
中には「感謝祭」と書かれた看板まで掲げる葬儀会館もありました。 企業が生き残るために必死で工夫を凝らす姿は、 どこか切なく、どこか現実的で、
この時代の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。今は出生数より死亡数が倍になった日本。 産婦人科が減り、葬儀屋が増える。 これが、私たちが生きている社会の偽りなき姿です。
✝️ 絶望の壁を扉に変えた方
「死」は本来、すべての終わりであり、 人間にとって最も深い絶望を意味する。
しかし聖書は、そこで終わらない。 死を“絶望の壁”としてではなく、 “新しい命への扉”として語ります。その扉を開いた方── それがイエス・キリストです。
十字架の死と復活によって、 死はもはや行き止まりではなくなりました。 キリストを信じる者には、 「死んでも生きる」という揺るぎない希望が与えられています。だから
私は、 死を恐れずに今日を生きることができる。 真の命が内側に灯っているからです。
👣 「ださい」姿に宿る尊さ──日常を生きる力
永遠の命の希望を胸に抱いているからこそ、 私は今日という一日を全力で生きることができるのです。今朝も、娘を駅まで送りました。 重い荷物を抱え、車を降りる直前に彼女は笑いながら言いました。「この格好、ださい!」今日から在宅実習が始まります。今日は八幡宮の近くでの実習だそうです。(八幡宮はわたしのランニングコースの一つでよく走ったりする場所です。)しかし父親の目には、
自分のためにだけではなく、人のために学び、働き、前へ進もうとするその姿が どれほど尊く、どれほど美しく映ったことか。
妻も今日は仙台で仕事。 彼女を職場に送り届けたあと、 私はドン・キホーテとロピアで両手いっぱいの買い物をする予定です。人のために歩む娘。
今日の務めを果たすために働く妻。 それぞれの場所で懸命に生きる二人のために、 私は最高の「トンテキ」を作る。
美味しい肉を焼き、 温かい食卓を整え、 彼女たちの帰りを待つ。このささやかな営みこそが、 愛であり、命の輝きであり、 永遠の命を知る者が生きる“今日”の美しさであるのです。
🌅 死を越える命を願いながら、今日の命を養う
いつか娘も、妻も、 そしてこのブログを読んでくださる誰もが、 肉体の終わりを越えた「真の命」を所有する人になってほしい。
その願いを胸に、 私は今日も目の前の命を養う。 愛する者のために食卓を整え、 与えられた一日を丁寧に生きる。
今日も、共に前進です。
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